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北の内古墳は
20×14mの長方形の方墳で
2基の埋葬施設がみつかっています。
そこから出土した石枕と立花。
なんと、
石枕に立花の棒が刺さったまま
折れた状態で、
軸が残っていました。
(石枕の赤い矢印)
立花はほとんどが、
ささった状態では出土しなくて、
周囲や石枕の下などから
出土するということです。
このように刺した形跡があったことで、
ある時点には刺していたことがわかる
貴重な資料です。
ある時点が葬送儀礼のどういうときなのか、
モガリの時なのかはわかってはいません。
漢字だと、「殯(もがり)」と書くのよ。
古代、死者を本葬する前に
遺体を仮安置所(殯宮)に置いて、
霊を慰る儀式などで
別れを惜むことをそういうの。
『古事記』や『日本書紀』には、
貴人に対して
長期間行われた様子などが記載されているのよ。 |
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刀子や斧・鎌・鏡などの
ミニチュアの石製品も出土しています。
正式には、
「石製模造品」という呼ばれているのよ。
他にも、土や鉄で造った
土製模造品・鉄製模造品があるの。
生活に使う道具などを
小さく造ってお供えする習慣って、
縄文時代にもあったのよ。 |
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台方宮代(だいかたみやしろ)1号墳は
南北25m、東西21mの円墳です。
墳頂部に2基の埋葬施設があり、
そのうちの北側施設から石枕が見つかりました。
この石枕は、裏側にも削った跡が残っていました。
(表はきれいに彫られていて、
立花用の孔もあいています)
最初に彫った面がうまくいかなくて、
逆面を彫り直したようです。
ほかに石材がなかったのでしょうか?
貴重な石ですから、
きっと無駄にできなかったのでしょう。
立花はなく、
刀子型の石製品や多くの臼玉がみつかっています。
立花は別の場所に埋めたのか、
それとも、もともと造らなかったのか?
いや、孔もあいているのだからやっぱり造って‥‥
次の葬儀のためにストックしておいたりして!
再利用?
スソさん、探偵みたい!
死体があった場所だし。
すくない手がかりから
太古の昔に起きたことを推理するのも
古墳部の醍醐味なのねー。 |
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猫作・栗山古墳群は、
総数56基の古墳で構成される大古墳群。
その中の16号墳には
3個の石枕がありました。
16号墳は直径23mの円墳で、
一つの長い木棺に
3人一緒に埋葬されたようで、
その北側の石枕に
鋸歯文(きょくしもん)と呼ばれる
模様が彫られています。
立花は三人三様という感じ。
勾玉っていうより花っぽい?
中央の穴のほうが
強調されているものが多いみたい。
3人一緒というのは、
モガリをしたとはいえ、
死亡が同時か、
時期が近かったということでしょうか。
古墳には、このように同じ石室とか棺に
複数の人が埋葬されることが多くあります。
原因はなんだったんでしょう?
ひとりが亡くなってショック死?
それともふぐの食中毒とか流行病で同時に?
それとも...もしかして暗殺?
スソさんの推理が、
妄想がとまらないわ!
こういうのをなんて呼ぶか、
みこちゃん思いつきました。
「古代妄想」!! |
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石神2号墳は、約直径25mの円墳で、
約6.8mの木棺から、
南北に2個の石枕が出土しています。
わっ、クマネズミが
立花をかじった跡が残っています!
(赤い矢印)
クマネズミが土のなかの木棺に
潜り込む可能性は低いので、
『立花は埋葬する前の
モガリの期間に齧られた。
つまり立花はモガリで使われるのだろう』
と推測されています。
モガリはよみがえりを
願うためのものだったという説があります。
だとしたら...
「死んだと思っていたら生き返ったよ!
やっぱり石枕パワーと立花のおかげだねー」
ということが実際にあったのかもしれませんね。
しかし、クマネズミは
遺体を齧ったりしなかったのかなー
そっちのほうが心配です!
立花をよーく見ると
棒に勾玉をひもでしばっているような
横線の彫りが見えます。
勾玉って胎児を表しているんだと思ってたけど
これは魚みたいだな~?
漁の神の新しいシンボル?
刀子もセットのアイテム。
何か悪い物を追い払う意味があるのかなー
ボタン風の穴はもしかして
服に縫うための穴かな?
あ、これは魔除けのボタン? |
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上赤塚1号墳の石枕は
石枕に鍵手文と呼ばれる文様が
彫られています。
(赤い矢印が指している箇所)
立花は孔の数より多く見つかっています。
写真のように刺さったままでは
出土していません。
孔の数があわないというのも
何か気になります。
数のあわない物を造るというのは
ちょっと納得しかねるなあー。 |
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村田川の河口三角州に面する台地にある
七廻塚(ななまわりづか)古墳は
約54mの大型の円墳です。
不思議なことに石枕がないのに、
立花がみつかっています。
この立花、
石の色にこだわって作られている気がします。
とても丁寧に仕上げられていて美しい!
腕飾形石製品も、
高度な石細工の技術が感じられます。
鋸歯文という文様が細く彫られていて
直径が16.5㎝もあり、国内最高の大きさです。
この古墳は5世紀始め頃に造られたらしいので、
初期には立花だけだった可能性もあるそうです。
大きめの石が手に入らなかったのかなー
でももしかしたら、木の枕があったのかも。
木は腐ってなくなってしまうから、
残っていないのでは?
刺す部分を持っている立花を刺さないなんて、
やっぱり腑に落ちないのです。
スソさんの「古代妄想」がとまらないのー。
「木の枕」だったという推理は、
ほんとにそうかも! とみこちゃんも思ったわ! |
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姉崎古墳群(あねさきこふんぐん)は
東京湾に注ぐ養老川左岸にある古墳群で
4世紀後半から
300年も古墳が造られていたそうです。
その中でも姉崎二子塚古墳は
全長114mの前方後円墳で
5世紀前半の
首長クラスの墓と考えられています。
後円部の木棺から石枕がみつかっていますが、
石枕は円墳からみつかることが多く
このように前方後円墳から出る例は
少ないそうです。
良質の滑石で、
側面に直弧文(ちょっこもん)が
彫られています。
石枕の中でも最高傑作品かもしれません。
こんなに丁寧で豪華に造られているのは、
生前から造っていたのか
それともモガリが長かったのか
どちらにしてもかなりな権力者だったことを
伺わせる石枕です。
ややや! これは複製品の展示!
国学院大学で保存しているんだって。
うーむ今度観に行こうー!
石枕の最高傑作、登場!
なるほどたしかに立派なつくり。
枕としてはずいぶん高いけど、
偉い人にはこういう枕だったのね。 |
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石枕展を見終わってこの形象埴輪を見て、
石枕と立花が5世紀前半から6世紀前半頃までの
100年だけ流行った理由が
これではないかと思い、
「形象埴輪を造るようになったから、
石枕をやめたのでは?」
と学芸員のかたに聞いてみたら、
石枕と形象埴輪が両方出ている古墳はあるので
理由には考えにくいというお答えでした。
うーん、やっぱり謎は簡単に解明されませんね。
(さて、次回は博物館の
常設展を見ていきましょう。)
みこちゃんのなかまたちだわ!
ぼろぼろになったのを
つぎはぎしてもらったのね‥‥。
ちょっとせつなくなりながら、
次回へつづきまーーす。 |
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上野の東京国立博物館で
石枕や立花が展示されています。
古墳時代の葬送儀礼
平成館 考古展示室
2014年6月10日(火) ~ 2014年12月7日(日)
写真は、
「石製勾玉
千葉県成田市高倉 高倉所在古墳出土
古墳時代・5~6世紀 根本安太郎氏寄贈」
古墳時代中期に
東日本で出現する石枕と
滑石製模造品を組合せた葬具を用いた
葬送儀礼のあり方が展示されています。
興味のある方は、上野へ! |
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