碑が2つ

碑が2つのわけ
発掘地点に関する地番や地図が
正確に残っていなかったため、
研究者たちの中で意見がわかれたまま
1929年、30年に2カ所に碑が建った。
佐々木忠次郎が晩年
「貝墟」碑のある地点を主張したものの、
1977年になり発掘時に地主らへ支払った
保証金の書類が見つかり、
発掘が公園の「貝塚」碑の
付近だったことが判明した。