その2 サリー・フォックス博士との出会い。

ッカモスリンとの出会いから50年、
ずっと繊維の仕事をしてきました。
海外に22年。
ブラジルやタイ、インドネシアに赴任しました。
その間に、いろいろな布ともめぐりあったし、
素材についての勉強もしました。

約20年前に、クラボウ傘下の大正紡績に移りました。
アットホームな会社に来てからおおきく
「ものづくり」の方向に舵を切りました。
そのとき役に立ったのが、
エンジニア時代に海外で見てきたことでした。

我々がクラボウという会社に入った頃は、
日本もまだ貧しかったんです。
今のような豊かな日本ではなかったから、
世界に工場を作って、そこでモノを作って、
それを世界に売って、ドルを稼いで、
日本を豊かな国にしようという時代でした。

海外の発展途上国へ行って、
その産地のものを使って、
たくさんの人に雇用を産む。
たとえば「ブラジルでは綿花ができる、
それなら紡績工場を作りましょう」と、
そういう考え方でした。
平和産業ですよね。
侵略でも何でもない、
その国の人が幸せになる工場を作って、
幸せになる仕事を教えるということで、行ったわけです。
でもそれをやってる間に、気が付いてみたら、
日本の産業が空洞化していた。

昔はね、紡績会社は綿糸を大量に作れば、
いくらでもそれが売れたんです。
それが、皮肉なことに我々が
海外に工場を設計して作るようになって、
発展途上の国でそういう
簡単なものができるようになったので、
大量生産に頼ることを続けていた日本の会社は、
立ち行かなくなっていたんです。

長い海外生活から帰国した時、ぼくは、
「あぁ、このままでは日本の繊維産業はもうだめになるな」
「どうしたら生き残れるだろうか」
と考えました。
ぼくは、発展途上の国から先進国まで、
みんな見てきている。
残る所はどういうところか。
どうすれば残れるか。
ぼくの五感のようなものが、答えを出しました。

生き残っているのは、
多品種小ロットに生まれ変わった所なんです。
大量生産ではなくて、希少性のある、独自の製品をつくる。
これは繊維産業に限ったことではなくて、
住宅とか自動車とか、
いろいろな分野で起きていることなんです。

大正紡績に移って、いろんな産地に行ったんですが、
日本の繊維産業には大変な手練れ、熟練工、
すごい人がいっぱいいるってことを知るわけですよ。
シルクもそうですし、ニットの産地でも、
デニムの産地、そして
タオルの産地でもそうです。

でもやり方で優劣がついている。

じゃあ、この人たちを生かす仕事を日本に持ってきたら、
日本の繊維産業はもっともっと
世界の代表としてね、生き続ける。
そういうふうに考えたんですよ。

そうか、長くエンジニアとして
海外で仕事をしてきたことにも、意味があったなと。
日本のそういう中小企業の、
これから日本を支えていかなければならない、
そういう産業を支える人たちの代表として、
修行を積んできたのかな、というふうに思いました。
だから、その後開発したものは、
もう特許も何も取らず、
全部みんなに開放しているんです。

それから、エンジニアとして海外を転々としていた時代、
30年間で書きためた、
「こんな糸がつくりたい」というノート。
これが活きました。
会社に入ってからずっと、
作りたいものを大学ノートに書いていたんですよ。
自分は技術者で、営業じゃないけれど、
よくお店へ行って、そこの人なんかから話を聞いて、
リサーチをしていた。そこから、
「こんなのがあったら、人が幸せだろう」って。
そのノートが10冊ありました。
だから、これでぼくの夢がかなう時が来たと。
人が達者で長生きできるものを作ろう。
そんな仕事を、1994年を元年にスタートしたんです。

オーガニックとの出会いは、それより前、
海外生活をしていたころです。
1989年に、サンパウロで、
巨大なクラボウのブラジル工場を設計施工しているときに、
『ニューヨークタイムズ』で昆虫学博士の
サリー・フォックスさんの話を読んでね。

彼女は、夢のような真っ白なコットンが
農薬や枯れ葉剤におかされて、
カリフォルニアが砂漠化してると警告していたんです。
やがて人間が住めない世界になってしまうと。

実際に今、本当に水不足でカリフォルニアの綿花も
本当にできなくなってるんですね。
彼女の恐れていたことが地球全体で起こっていて。
オゾン層の破壊だとかね。

昔はね、綿花は、完熟して葉や茎が枯れるのを待って、
ひとつひとつ手で摘んでいたんです。
オーガニックな方法ですね。
ところが、大量生産したい先進国での主流は、
大型機械で収穫しやすいように、
農薬や化学肥料で綿の木の高さが揃うように育てたり、
収穫時期に合わせて枯れ葉剤を
飛行機で大量に撒いて葉を落とすという方法なんです。
その時知ったのが衝撃的なんです。

綿の畑の面積は、世界のたった3%なのに、
全世界で消費される殺虫剤の25%、
農薬の10%が、綿花栽培に使われていた。
ぼく自身、これまでどれだけ
地球を傷つけてきたのかと思ったんですよ。

そして発展途上国では、
綿花栽培の労働環境はとても悪くて、
子どももかり出されるので
学校にも行けない子たちがたくさんいた。

サリー・フォックス博士は、
「オーガニックで農作物をつくらないと、
 世界がおかしくなる」と言って、
農薬のかわりに昆虫をつかう綿花栽培を
実践していたんです。
それでぼくは、彼女の実験農場を訪ねました。
案内してくれたのは、
伊藤忠商事綿花部のオーソリティSさんでした。

カリフォルニアの州都のサクラメントから
2時間くらい北へ上がった、
カペーバレーというところで研究生活をしている
サリー・フォックス博士を訪ねました。
いろんな話を聞きましたよ。
ヨセミテの自然が壊されていること。
生態系が壊れていること。
しかもカルフォルニアの農地が、枯葉剤で
砂漠化しているということ。
そういう話を聞いて、これは日本のエンジニアとしてね、
武士道精神があったら、
世界を救うだろうなと思ったんですよ。
彼女に賛同することが、
地球環境を守ることになると直感したんです。

今、たまたま近藤健一がここに立ったんだから、
近藤がやろうと決心した。
これがオーガニック繊維商品の開発、普及に専念する
きっかけだったんです。
それ以来、彼女との付き合いはずーっと続いています。
そして私は、オーガニックひとすじです。

(つづきます)
2015-06-02-TUE