VENEZIAのヒカリへの浮遊・・・No.3
HELLO! I am KUMA!
当初ミラノ経由のアリタリア航空機だったが、
機体整備で大きく遅れての出発のうえ
ミラノで一泊ということだ。
今さらミラノでウロついてる余分なジカンもゼニもない。
一時も速くTUCCHIに会わなくては。
アリタリアはJALと提携をしているとかで、
運賃はそのままでスライドしたのだ。
箱モノ屋・本多もそれに従い、
あっけなく予定より一便速いJAL機で
NARIT Aを発った。
結果的にはこれでよかったのだが
シベリア上空では機内までがやたらと寒い。
空の縁に<KUMA'S BLUE>を駆け巡らせていた。
耐熱硝子の膨張率や溶解温度。
Tシャツのオレは毛布二枚に包まり
ミノムシになりながら冷たい青いヒカリの中にまどろんだ。
一〇〇〇年の硝子の経験を続けるヴェネチアガラスに、
六〇年弱生きてきたオレのジカンを込めたヒカリのカタマリ。
全く関わり方は違うのだが、ガラスの性質自体が美しいのだ。
上空に満月眼下に無数の運河。ヴェネチアだ。
北野武氏はここで<HANA−BI>で
金獅子のグランプリを獲ったのだ。
<ソナチネ>から始まって、
KITANOシネマの詩のファンのオレは感激だ。
九時二〇分ランディング。
TUCCHIが迎えに来ていた。
「会いたかったぜい」。
空港裏から真っ暗な運河を水上タクシーで往くと、
墓場だけのシルエットの島を掠めムラーノ島をまわって
頭上スレスレの太鼓橋をいくつか潜り
ヴェネチア島の船着場。
水の上の都市ヴェネチアに着いたのだ。
途端に、巨大なジャスミンの樹が
白い花の房を下げていた。
ジャスミン・ティを飲んだことはある。
オレはこの世に来た途端に嗅覚と左の鼓膜をジフテリアに、
生命と交換してやったからジャスミンも匂わない。
二十四時間前、オレは笹団子を喰っていた。
船着場の暗がりに名残惜しそうな男等が、
石の中に沈んでいた。
石畳の上に漂っていたジャスミンの香りを
湿った風が掻き混ぜたら、
犬等が飼い主の鎖を離れて爪音を残して走り出した。
誰がいつ、石の迷路の小さい広場に
あのジャスミンを植えたのだろう。
きっとオレが嗅覚を失う以前に違いない。
スキンヘッドの前頭葉に天水の最初の一滴が落ちた。
ピッザを喰いながら、
かって精神病棟があって今は無人島になっている
ヴェネチアの小島に、
ヴェネチアの若いマエストロ五人衆が先頭に立ち、
世界中から硝子の巨匠を集めてこの夏から硝子学校を開くと
TUCCHIが熱く話す。
ヴェネチアにはないキャスティングガラスのオレにも
参加してほしいと言う。
TUCCHIのオヤジと同じ歳のオレはOKした。
明日は水上バスに乗って
ムラーノ島のTUCCHIの仕事場を訪ねる。
ホテルの窓の5メートル下に
もう眠っているTUCCHIのベランダがある。
|