ヴェネチア浮浪
HELLO! I am KUMA!
相変わらず眠らない。三時間眠るだけで眠りたくない。
山梨FACTORYでも四時間で充分だから
一時間ほど少ないだけだ。
頭蓋内が激しく回転していて気もちイイ。
安いホテルの朝メシは
コーンフレークに牛乳をかけてカプチーノ。
ナカガワ夫婦は一日だけでイタリアの何処かへ消えていった。
箱モノ屋に、ヴェネチアでの短いジカンながら
確かな根拠はないが、高まる希望を語りながら
朝食を済ませて、眩しい光りの中に出掛けた。
ここにきて初めてあまりにも有名な
〈サン・マルコ広場〉に向かい
箱モノ屋と石の路地を歩き出す。
オレの中には不思議なほど急いた気持ちも
苛立ちのカケラもない二足歩行である。
しかし、何かに導かれているようだった。
剣道四段の箱モノ屋は
首からビデオやノートや巻尺まで入ったカバンをさげ
建築家らしく地図を片手に几帳面な水先案内人になっている。
ロケハンを記録しながら、
ヴェネチア建築を研究しているのだ。
有能な補助役で直感で動くオレと、
慎重な箱モノ屋とのコンビネーションは絶妙になってきた。
迷路のような分れ道での決断にちょっと時間が掛かるのは
きっと性分なのだろう。
一時間ほどとヤツの読みは大きく違って、
十五分で眩しい朝の光りの広場に出てしまった。
太陽の光が照り返す石畳に
世界中からの観光客がゆっくり右往左往し、
吐き気がするほどの鳩が一斉に吹雪の羽音で陽を遮った。
『こんな光りの元にオレの巨大なヒカリを転がしたら
愉快だろうな』。
寺院の入口には入場制限の長い列。
金の天井モザイクやらにはオレはハナッカラ興味はない。
どうせ十字軍がコンスタンチノーブルから
かっぱらってきたモノだろうが、
「もう充分だ、イイわい」と吐き捨てた。
箱モノ屋は「写真なぞ撮っときましょうか」と抜かして
「こっちの鐘楼は一〇〇メートルほどあって
町は一望出来ます」
とガイド口調になった。
「今なら列も短いから十分で上がれます。
会場探しには上から見ておいたほうが…」
と自分が見たそうでさかんにビデオを回していた。
大理石のシンプルな高い塔はオレも好きだ。
エレベーター。上空九十数メートルの涼しい風を受け
ラグーンとヴェネチアの小さくなった赤い屋根や
熱いフライパンの上ではぜる胡麻粒みたいな観光客を眺める。
「イイ眺めだな。しかしこう小さくては
会場を探すには向いてないぞ」
「あっちのがサン・ジョルジョ・マンジョーレ教会です。
ホテルはあすこですね」
「じゃあ毎朝オレの頭蓋を転がす鐘楼はあれだな」
と言うと箱モノ屋が地図の向きを変えながら
「そうなります」。
バブル崩壊寸前のデベロッパーは新宿の高層ビルの屋上から、
虫食い状態の街を眺めながら次の地上げを企んだと
聞いたことがあった。
高いところに昇て下界を眺めると、
勘違いして鳥の眼を通り越して
余計な世話の神の眼になるのかなぁ。
「もう少し歩きましょう」
箱モノ屋は、イタリアン・ルネッサンスの
建築物が好きだと言う。
日差しの中歩いた。
こんなに観光ポイントを歩くのは初めてだった。
「あれですよ。<溜息の橋>っていうのは・・・」
「誰がだよ」
「ムカシの監獄です。あの廊下を渡ったら
二度とこの世に戻れなかったらしく、
二個の透かし彫りから見納めの景色に
囚人は溜息をついた…」
箱モノガイドは
昨晩読んだガイドブックを思い出して説明する。
「監獄? 二度と戻れない…今はどうなっているんだよ」
「知りません」
「バカタレ、そこに興味が無くちゃダメなんだ」
「……」
『監獄でオレのヒカリをオレが見たいものだ』
水上バスで対岸の
サン・ジョルジョ・マンジョーレ教会に渡った。
箱モノ屋は熱心に建物の構造などをメモしているから、
オレは大理石のヒンヤリした空気の中、
ティントレットの大きな<最後の晩餐><キリスト降架>
<マナの落下>の絵を眺めていた。
オレにはさっきの監獄が気になっていた。
表に出てハイライトで一服していたら、
三〇分ぐらいして彼がやっと出てきた。
対岸に戻ってもう一度<溜息の橋>を見ながら
オレが溜息をついた。
『何とかならないか、何とかしたい』
強くなってきた。
「オイ、入口を探すゾ」
窓に太い鉄の格子が嵌った建物に近づいた。あるじゃないか。
入場無料というオレの好きなコトバ。階段を昇った。
広間だ。オレの直感が当たった。『ここがイイ』。
「ここを貸したりするのか、
あそこに座っている野郎に訊いてくれや」
箱モノ屋が通訳に変った。
さすがに剣道四段、
相手に正対して下手糞な英語で話しこんでいる。
誠実が一番だ。
オレはゲージツすることだけには誠実だ。
スペースを歩幅で計り、
狭い階段をどうやってデッカいヒカリを運び上げるか
思案していた。
「何とか話を取り次いでくれそうです」
野郎は上の責任者のドアをノックした。
オレより少し若そうな温厚そうな男が顔を出して
「入りなさい」
と言うじゃないか。
「ニッホンから来たヒカリのゲージツ家KUMAだが、
来年の都合のイイ時一ヶ月はやりたいと言ってみろ」
「むこう二年の計画は決まっている」
とショウガナイ返事だ。
オレは名刺を交換して
「オレは諦めない、また会う時が来ると思う、
その時はヨロシク」とケンドーに言わせた。
向こうも英語はケンドーと同じ程度だった。
まだ少し時間はあるから何とかする。
強い念を残して出た。
オレはもう溜息なぞ吐かない。
そしていつの日かこの監獄に戻ってくる。
夕方、ムラーノ島に渡って
TUCCHIのFACTORYを訪ねた。
玄関にたまたま居たTUCCHIの義父は
渋くて温和な顔で「チャオ」と言った。
ムラーノ人特有の人見知りするヒトなんだろう。
TUCCHIは今日、ムラーノの若手後継者で作家でもある
五人衆にオレを会わせる算段をしてくれていた。
「彼らにオレの想いを話してください、僕が通訳するから」
と言う。
TUCCHIは彼らと《VETRO》という
新しいガラスの雑誌を年に四回発行しているのだ。
山梨、東京、ヴェネチアを結ぶサイバー・KILNの話を
真剣に聴いてくれる彼らの眼は、
マエストロの鋭さと作家の好奇心が満ちていた。
「是非協力をお願いしたい」
と結ぶと
「早く見たいものだ」
と言ってくれたが、
マ、これからじっくりとやっていくかい。
それにしても海外で活躍する
ニッポン人作家TUCCHIの誠意には感謝している。
ムラーノに誘い込んでくれたのはTUCCHIだ。
帰りの水上バスからデッカい落日を見た。
『ヴェネチアバンザイ、TUCCHIアリガトウ』
水上からケンドーの携帯でミラノにやっと繋がった。
イタリアでもう一人逢いたいヒト
《アンティプリマ》のオーナー兼デザイナーの
IZUMIさんだ。
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