ヴェネチア浮浪NO.6
HELLO! I am KUMA!
ヴェネチアに来てから、一台の車も自転車も見ない。
金持ちも貧乏人も歩いている。
五メートルも行けば運河だから、
無数の運河は無数の橋を歩いて渡る。
観光客はゴンドラで渡ったりするが、
鳥以外は犬も猫もほとんどのヒトは島から島へは水上バスだ。
エンジン以前の肉体速度で一日が過ぎていくのである。
巨大な寺院も鐘楼も、
ガラスのFACTORYも何世紀も水の上にある。
だから<水の都>なんだ。
水はたまに溢れたりして寺院すら沈めたりするが
ここに生きるヒトは、
「何百年もそうだから」と気にしていない。
ヒトの浅知恵が大自然を克服したり、
凌駕すると思い込んでたジカンは過ぎたのだろう。
朝、歩いて
五世紀ごろからムッソリーニの時代まで使われていたという
牢獄をもう一度訪ねた。
堅牢な石の構築物で、脱出は不可能とされていた。
唯一、カサノヴァだけは例外だったという。
ケンドーとゆっくりと石の中を巡った。
ケンドーは建築の構造を感心しながら
全体や細部を眺めヴィデオで撮影している。
ヒトがヒトを裁き、
ヒトが一個の自由を拘束する歴史のジカンに
オレは眩暈を覚えながら、
この空間に極東から来たヒカリを閉じ込めて、
ヒカリを放ってみたい。
石の中の通路を往くオレの皮膚を石の温度にしていった。
カサノヴァ万歳!
オレはカサノヴァと反対ルートで
ここにもう一度ヒカリとともに入りたいものである。
通りの名前は知らないが、
聖書と同じ革で製本した掌サイズの分厚い手帳が
通るたびに気になっていた。
牢獄の帰り道、ついに買った。七〇〇〇円也。
レンガより一回りちいさくてオレの手の中の収まった。
これに<唯識>を写経するか。
ユラユラとTSUCHYのFACTORYへ流れた。
さすがに毎日の歩行浮浪に足がつりそうになり、
ペースをおとして景色に眼をやるようにして歩いていた。
「トクホンを足の裏に貼るとイイです。
騙されたと思ってドーですか」
ケンドーに見抜かれたようだ。
「何を言ってやがる、バカタレが。
そんな気休めを持ってきたのか。呉れ」
騙されてやったが、気休めでもイイ、
まだ浮浪の日は続くのだ。
「チキショウめ、ありがてぇや」
昨日五人のマエストロたちと面談してからのオレの頭蓋は、
ルネッサンスを通過してきたヴェネチア・ガラスの中での
ヒカリのカタマリのことが充満していた。
「ヤクーザ!」
頭蓋後部にバリトン声が当たった。オレのことらしい。
TSUCHYのオヤジ、フランコが笑っている。
「チャオ!マフィア」オレも返した。
フランコの大きな掌は温かかった。
不機嫌に見えたオヤジは
ヒトをじっくりと観察していたのだろう。
『今度、オヤジの好きな小鳥についての話をしようゼ。
オレの今の問題が少しでもクリアーしたら…』
と思った。
どの寺院でも目にする翼を持った天使の像や絵。
空を行き来する。
こんな大きなヴェネチアガラス産業を支えてきたフランコは、
今まできっと色んな種類のヒトと出会ってきたのだろう。
年老いた男の大きな後姿には厚いジカンがある。
かって、ジャパンの下町でオレに鉄を教えてくれた
職人オヤジたちもこの種類だった。
TSUCHYと燃え盛る窯の前で
オレのサイバー・KILNの大きさを話していた。
スペースは充分だ。
ムラーノでは昔ながらに炎が中心だが、
巨大KILNは電気の熱量だ。
「溶解まではガスで、
五〇〇℃からの徐冷は電気という併用型ではどうだ」
オレは片方がツンボだから声がデカクなる。
いつの間にかFACTORYに入ってきてオレたちの話を
タバコをくゆらせて聴いていたフランコが、
「オレの長年のダチの凄い窯造りがいて、
今呼んだから、ちょっと待て」と言うじゃないか。
どうやらサイバー・KILNが
マエストロの気分を動かしたか。
「一本くれよ」
「ハイライトだ、身体に悪いゾ」
「構わない」
フランコもオレと一緒にハイライトの煙を吐く。
マエストロ・ジノが間もなくやってきた。
イタリア軍の風防や
照準のガラスを作る窯も手掛けたという窯職人だ。
今度は三人のマエストロとオレが
包紙にサインペンで図や数字を書きながら、
イタリア語とオレ語でワイワイ交わす。
「お前のやりたいことはこうやれば解決出来ると思う」
全部電気でコントロールするモノだった。
見たこともないモノだったが、
「これだったら一トンだって平気だ」と言う。
TSUCHYも一緒にヴェネチア島に揺られて戻った。
「イイテンポだな、TSUCHY。感謝してる」
「イタリアで<テンポ>というのは、
クマさんが言うジカンという意味なんだ」
「そうだ速さではない、時間ではなく<ジカン>なんだよ、
フランコもついに身を乗り出したナ」
「古い世代のマエストロも巻き込むと
ムラーノは、また新しいガラスになっていくんだ」
TSUCHYは本当にムラーノを誇りに思い愛しているんだ。
そしてTSUCHYの吹き竿からは、
一〇〇〇年のジカンに新しい息を吹き込んでいるのだろう。
オレもまたヴェネチアに来る確信がある。
オレのヒカリのゲージツが新しい段階を迎えるのだ。
それはやっぱり美術市場を目指してはいない。
歴史に記述されなくてもイイ、
オレという現象が終わる瞬間まで
オレ自身がゲージツのヒカリを求め続けることなんだ。
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