クマちゃんからの便り |
ハッカケ花 今、焼いている巨大陶板の色見をしながら、 土のオブジェを創っているのだが、 増穂登り窯でゲージツ中はF氏の家に世話になっている。 メシや宿泊、山までの送り迎えまでだ。 ゼニ無しのオレには有難いサポーターだ。 窯の温度も1250℃に上昇する朝六時、 櫛形山のツヅレ坂を登っていた。 彼岸の中日も終わって息も白くなっている。 「あんなに咲いていた彼岸花は、 お彼岸が終わるなり色あせて枯れちまったなぁ」 呟くと、運転のF氏は棚田を眺めながら、 「ハッカケババァちゅうだよ」 「それは何だ」 山梨の南部山岳地帯では、彼岸花のことを <ハッカケババァ>と本当に言うらしい。 集落ごとにその根拠は多少違っているが、 <ハッカケババァ>という呼称は共通である。 子供等が墓なぞの傍に咲く彼岸花を千切ったりしないように、 「そんなことをすれば歯が欠けてしまうぞ」 と大人たちが言い含めたのだろう。 本当のところは、花が咲く頃には茎と花だけになり 葉がなくなっているから、 <葉欠け>から来ているのかもしれない。 今日は登り窯から、 まだ生き残っていたハッカケババァ越しに 雲ひとつない空にクッキリと現れていた富士山に合掌した。 墓参りになぞ来なくても、 どっからでも見える富士に向かって拝めばイイというのが、 死んだオヤジの遺言だったからだ。 それにしてもあの日(九月十一日)以来、 気分のなかに大きくポッカリあいた穴は埋まらない。 通過してきた二〇世紀は何だったのだろう。 戦争と平和、善と悪、生きていることと死。富と貧困。 思想も宗教も経済のモノの意味が、 今までの物差では計りきれない二十一世紀のはじまりである。 テロへの報復報道が日増しにうねっている。 二〇世紀に培い強大になってしまった対話を拒否する武力で 完膚無きほどに、テロリストや集団に攻撃すれば、 飢餓と貧困の中でひっそり生きている 無数のヒトビトの生命すらもあっさり奪うのだ。 それは新たな憎しみと暴力を助長させるだけで、 そしたらまたやがてその報復のためのテロが始まり、 もう前線も後方も、 戦闘地域も周辺地域も非戦闘地域も無くなる。 どうするのだ<二十一世紀>! 落着け、落着け、アタマを冷やすことだ。 まだ間に合う。 窯から出した色見の中で青い硝子が イイ具合に土に溶け込んでいた。 山岳にある登り窯の脇で、 オレが入れる棺箱ほど大きな 五〇〇kgの蒼いヒカリを入れる土の器が、 ヒビも入らず日に日に加湿乾燥をゆっくりと続けている。 ミラノから戻って十一月には窯で焼き締める。 また<ハッカケババァ>に合掌して山を一旦降りる。 『蔓草のコクピット』 (つるくさのこくぴっと) 篠原勝之著 文芸春秋刊 定価 本体1619円+税 ISBN4-16-320130-0 クマさんの書き下ろし小説集です。 表題作「蔓草のコクピット」ほか 「セントー的ヨクジョー絵画」 「トタンの又三郎」など8編収録。 カバー絵は、クマさん画の 状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。 |
2001-09-26-WED
戻る |