クマちゃんからの便り |
何をしないか。 それにしても、この十日間はついに高熱と遣り取りだった。 熱にやられた頭蓋でフラフラの身体を、 FACTORYの穴倉みたいな 前頭葉の小部屋から這い出し、 サイバー・KILNの危険温度帯を コントロールしていた。 洗濯して干したシャツに着替えては汗を取り、 倒れては起き上がりの窯番だった。 こんな熱は何年ぶりかと思い返すが、 モデルチェンジ無しの身体も六〇年使い込めば ガタがくるわい。 安定温度に持ち込んだKILN。 もう安心だ。 オレの身体を占領していた高熱魔物も去っていた。 掃除を済ませたヒカリの窯周りに<嘘鈴>を吹く。 村の雑貨屋へ神棚の注連縄に下げる <シンメイ>を買いに行った。十二枚入って二百円也。 「こんなにあれば二、三年使えるワイ」 「違うだよ。これは一年十二ヶ月分だ」 オレは今まで間違っていたのだ。 真新しい十二枚を全部ぶら下げると 何だかゴーカになった金屋子神社を奉っている神棚に、 新しい米、塩、酒を上げて二礼二拍一礼。 お裾分けの一献をオレの口に。 二十九日は満月。冷たく澄み切った月明かりで、 村の景色には陰影がくっきり出来て無闇に冷え込んだ。 こんな夜に村の八十二歳になる老婆が忽然と姿を消した。 少し耄碌が始まっていたらしいが、 まだ畑も出来て健脚だったと言う。 大騒ぎになって捜索隊が出て部落中を探し回った。 とうとう発見されないまま、 何処かで凍ってしまっているだろうと誰もが考えて 一晩が過ぎた。 オレの親方である深沢七郎師の小説 <楢山節考>を思い浮かべていた。 老婆は山に向かったのだろうと直感したオレは、 <独り姥捨て山>だと思った。 果して翌朝、下山してきた登山者に背負われた老婆が 生還してきた。 みんなの予想を裏切って登山道に入ったらしい。 一晩中歩き続けていたから、 足を少し凍傷にやられただけだけで、 雪が舞いはじめた村は静かな大晦日に戻ったのだった。 甲斐駒オロシが冷たい韮崎駅のプラットホーム。 さすが大晦日に東京へ向かうアズサ・グリーン車には オレ独りだった。 パソコンに原稿を打ちながら 暮れていく窓の外を眺めていた。 シミジミ灯りはじめた灯かりが通り過ぎていく。 過剰な体力を持ってしまった老婆が、 ぼやけた頭蓋で選んだ終りが 未遂に終わってしまったコトを不憫に思った。 しかし、夢心地で生きることを続けなければならない 老婆が、ユーモラスな死を迎える可能性もある。 そうなることを願っていたら、 ネオンが騒がしい新宿摩天楼だ。 掲載予定のないまま書いていた 五十枚の短編小説の二作目が、 やっと書きあがった。 今年も相変わらず抱負も希望なぞも持たない。 ただ今までどおり 《何をしなくて、何をするか》だけである。 『蔓草のコクピット』 (つるくさのこくぴっと) 篠原勝之著 文芸春秋刊 定価 本体1619円+税 ISBN4-16-320130-0 クマさんの書き下ろし小説集です。 表題作「蔓草のコクピット」ほか 「セントー的ヨクジョー絵画」 「トタンの又三郎」など8編収録。 カバー絵は、クマさん画の 状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。 |
2002-01-06-SUN
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