クマちゃんからの便り

雨中浮遊

設置作業が続く北九州・黒崎<井筒屋>からいったん戻る。
ミラノ行きの最後の作品を構成している頭蓋を、
下町の鉄工場に運んでOBJEのベース部分を作っている。
山梨FACTORYのシフトをヒカリを創るために換えてからは、
鉄のOBJEを創るときは
そこまでオレが出掛けるようになっている。
移動するジカンと留まりながら
制作に集中するジカンの連続だ。
物忘れがひどくなったオレはメモを打ち込んだり、
写真をファイルしたりするために
旅先にもパソコンを持ち歩いている。
しかし生真面目に記憶する機械も、
具合が悪くなると単なるバカな箱に成り下がってしまい
お手上げである。
秋葉原電気街のサイバー小僧は、
擦り切れたジーパンのビンボー揺すりで
あっさり生き返らせると、
オレが穿いていたジーパンにアドバイスしてくれた。
あまりしょっちゅう洗わず穿き古し、
裏返しにして洗剤を使わずに洗濯して
日陰に乾燥するのを繰り返していると、
やがてイイ色に褪めていくのだという。
小僧どものジカンへのコダワリらしいが、
オレはそんなコトもやがて忘れてしまうだろう。
彼らの一人のハードロック小僧は、
生まれて間もなく親父の知り合いの占い師が
「この子は29歳で死ぬ」と予言され、
その29の誕生日だという。
占い師は性質の悪いが、
そんな戯言を倅に伝える親も親である。
「ちょっとドキドキしてるんだ」と明るく言う彼の運転で、
上野の森に降ろしてもらった。
「ドキドキしながらハードロックに生きてるのは
イイじゃないか。またな、アリガトウ」
ゼニ稼ぎに彼は信号を左に曲がった。



オレはムカシから秋葉原から上野あたりの
雑然とした界隈をぶらつくのが好きだ。
雨降りの平日に急ぐでも止まるでもないヒト等が
大勢動いているアメヤ横丁を、
重いブーツを引きずってダラダラと歩いていると、
ガード下の小さな靴屋の棚に
赤い変ったシューズが眼に入った。
踵に小さなフェラーリのエンブレム。
眺めているうちに、久しぶりに、
移動する足の器が欲しくなって予約した。
嵐の中の週末、上野の森は
早まった開花の八分咲きだったらしい。
慌てて黄砂混じりの刺身を喰う大勢の花見客で
大混雑だったようだが、肌寒い雨降りの平日は、
地味なコートを着込んだヒトが
傘をさしてただ行き来していた。
山梨FACTORYの雑木の裏山も新芽が吹きはじめ、
ムカシ野鳥のクソに混じった種が成長した桜の樹が
今年も満開の花を咲かせるのを遠くから眺める方がイイわい。

蕎麦という<文化>が漂うドンブリに、
満月に見立てた完全な円の<自然>が浮いている
立ち食いの月見蕎麦を喰う。
箸を突き立て壊し溶け込んだ<文化>を啜り、
黄身の気配まで飲み干して身体の中に隠した。
まだ少し移動が続く。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2002-04-01-MON

KUMA
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