クマちゃんからの便り

ゲージツ日報

カミソリを頭蓋に当てて昨日の頭皮を削っている最近の朝は、
<La Campanella>のCDが流れている。
さっきまでカミソリを握ったり茶碗を持った掌は、
ハナミズキの枝を掴んで開花の具合を眺めてから、
プラズマ切断機のトーチを握る。
100ミリ平方の鉄片約3000枚を前に3秒間集中して、
頭蓋から溢れ出すプリミッティヴな記号を
プラズマが無数の線を刻みつける。
1枚…3枚…5枚…を過ぎる頃になって
やっとオートマチックになってくる。
防塵マスクのフィルターを詰まらせた燃える鉄粉やガスより、
ハイライトの煙は美味しい。
交換ついでに一服しながら、
半端な格好の足腰をストレッチするオレの足元が、
いつの間にか鉄片の記号で埋まっていた。
目分量でやっと300枚行ったかな。
浮き出る<完璧な円>のイメージを
五メートル×五メートルに充たす物量までは、
まだまだ程遠い。



ミラノへの積み出しまで時間が少なくなってきた。
明快な輪郭を描いた頭蓋内のイメージ・デッサンに向かって、
焦るでもなく、苦しくもなく、
楽しくもない荒行のような山ごもりのジカンが、
ただ淡淡としばらく過ぎていくのだろう。
「桃も、神代桜も今日が満開だねぇ」
振り向くと敷地に進入していた他県ナンバーの車から、
カメラを持った夫婦が降りてくるところだ。
無視していると
「何してるの」
「見りゃ分かるだろう、ゲージツさ」
「あら、ちょっと写真撮らせて」
「桜の追っかけついでにオレか。
 嫌なこった、出て行きやがれ」
早まった開花を忙しく追っかけしている
素人写真家には困ったものだ。
写真機で蓋をしたこんなヤツ等の眼は、
例え1000分の1秒でも、
他人のジカンをかっぱらって
いることに気がついていないのだ。
FACTORYのシャッターを閉めて作業再開だ。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2002-04-10-WED

KUMA
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