仁義をきる。
あと明日一日、OBJE群の残りを撮影したら、
MUDIMAへのオレの準備お仕舞いである。
後は、一個づつ丈夫な木箱を作るのは梱包屋、
運ぶのはいつもの高根運送のトラック。
オレは今までサハラ砂漠やモンゴル草原の国境でも
ゲージツをやり過して来たではないか。
電話やFAXが通じるミラノでだったらオチャノコだわい。
と言いながらも、マネージャーが厄介なカルネの申請書や、
船便や税関通過を調べたり、
MUDIMAとのやりとりをこなしているのだが。
業者を使えばもっと簡単なのだろうが、
オレにはそんな余分なゼニはない。
FAXで届いたMUDIMAからの展示指定にしたがって
溶接作業をする頭蓋に、
FACTORYのトタン屋根を打つ雨音が滝のように降っていた。
片耳の鼓膜を失っていても大音響である。
最後の二十五枚目が終了、タイトルも
<LA CAMPANELLA>にした。
創っているあいだズーッと流していたCD。
長かった、長かったワイ。
COHIBAに火を点ける。美味い煙だ。
雨の中、軽トラが止まって
頬被りの村の衆がパックを抱えて飛び出してきた。
「この春、俺の婆さんが山に這って採ってきたワラビを
嫁が炊いただよ」
顔にかかった雨のしずくが、
いつもは明るい彼の深いしわに沿って顎から滴った。
「この雨で村にも降りられずにいたんだ。
昼メシに有難くいただくワイ」と言ったのだが、
彼の顔は雨空だった。
「何かあっただか」オレも甲州弁になっていた。
「田植えからもどったら死んでいただ」
「この作品を創り始めた頃のぞいて、
経文みたいだと言っていたあの元気な婆さんが…」
オレは彼の家の方に合掌した。
この地方には<仁義をきる>という習慣がある。
誰かが死んだと聞くと、わざわざ野良着、長靴に履き替えて
取るものも取らず駆けつけたという大切なお悔やみらしい。
オレも軽トラ乗ってワラビ婆に<仁義を切り>に行った。
彼が白い布を取ると、オレのゲージツを
「何だこりゃあ」と笑っていた婆さんの
萎びた半開きの口から黄色い歯がのぞいていた。
雨足の激しいFACTORYに戻り、
「これはミラノにもっていくだよ」
「何処の町だか」
「海の向こうのイタリアだ」
「オラしんねえずら」
婆さんのワラビ御飯を喰った。
夜になって、ホッとしたせいか
オレの身体がだるくなって熱っぽい。
『ご馳走さん。でも懐くんじゃない、
婆さん早くあっちへ往きなさい』
明日のカタログ撮影までジタバタして治すか。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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