クマちゃんからの便り

今日でオサラバ
 
美術市場の売り買い価値観や、
美術ムーブメントとやらに興味も教養すらないまま、
サハラ砂漠やモンゴル草原などに浮遊しては
漠然とした<ゲージツ>という様式で、
オレは人生・ジカンを生息してきた。
 
鉄やセラミック、硝子などを火炎で遊んできた
この六年間のOBJE群を、
ミラノ・MUDIMA美術館に引き連れていくことになって、
今年が始まってからは山奥FACTORYに篭り大作の仕上げ、
最終の手入れだった。
五月末に制作を終了、
しばらく鹿児島・甑島に七年狙い続けた
イシダイの幻影に誘われ漂うことになった。
しかしイシダイの猛攻にロッドを引き込まれたり、
ライン切れ、すっぽ抜けの連続。
オレの炎天に曝したシャレコウベは、
すでに夢なのか現か曖昧になっていた。
最終日ついに釣り上げたイシダイも
幻覚だったのかもしれないが、
神田の寿司屋に捌いてもらった
脂がのった王者の白い肉を喰ったのは現だった。
しかし、すでにショーチューを一本空けて
上機嫌だったオレは、
魚拓を振り回して大半を店中のサラリーマンどもに
大盤振る舞いしてしまった。
だからイシダイの味はうる覚えである。
 
眩しい海のジカンからまた山に戻ると、
FACTORYではOBJE群が搬出を待っていた。
濃過ぎる緑の風に魚拓のイシダイが跳ねた。
FACTORY内が空っぽになるのを機会に、
工場の壁を2メートル平方に切り抜いて
隣接した物置部屋を工具専用部屋にして、
もっと使いやすくすることにした。
少しでも広くするべく壊している壁の中から、
すでに殺したはずの3相200V回線の
太い電線チューブが現れた。
金庫強盗も愛用の番線カッターで一本づつ切断していると、
突然青白い閃光が走った。
カッターが二本に接触、ショートしたのだ。
『危なかった。乾いた軍手をしていて良かったわい』
構わず壁をぶち抜くと、
ポッカリ開いた壁からヒカリが差し込んで
FACTORYの隅を照らした。
目の前が開けることは何だか嬉しい。
しかし、今度は鉄骨を片付けるクレーンが動かない。
乱暴なオレのショードーを身を挺して戒め、
明日の搬出に活躍するはずの
大事なクレーンがイカレてしまったのだ。
 
現と夢がまだ入組んでいるのか。
 
東京から朝早く飛んできた電気屋が
結線してあっさりクレーンが復活した九時、
10トン・トラック三台が到着した。
積載が済んだトラックから順に梱包屋に向った。
一個づつ箱を作りコンテナーに入れてから、横浜港へ直行、
ジェノバ港で再会するまで
OBJE群とは今日で<オサラバ>である。
最後の一台が出発したのは午後三時。
総量15トンのOBJEを全て搬出した。
久しぶりに空っぽになったFACTORYを掃除して、
<金屋子神社>を奉った神棚に蝋燭の火を灯す。
 
また次のゲージツに取り掛かるか。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2002-06-12-WED

KUMA
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