クマちゃんからの便り

梅雨寒の日
 
世の中が《重厚長大》のジダイから
《軽薄短小》になって久しい。
オレの七年間のシゴトから選抜してMUDIMAへ向かう
OBJE群の10トンという重量は、今更のように重い。
先日、FACTORYから搬出したOBJEは、
船積みのコンテナーに詰めるように精密機械や原材料など
輸出専用の梱包をやっている業者に依頼して、
頑丈な木箱を作っている。
初めての海外遠征のゲージツがどんなふうに梱包するのか
気になり見に行った。
彼らもこんな重量のゲージツは初めてらしいが、
箱は検疫で義務付けられている薫蒸も済ませた木材で、
一個づつ丁寧に作られていた。
10トンのオレの分身たちが税関を通り、
東京湾を離れるのは七月十日だから、まだ少しジカンがある。
今度こそ、もうミラノまで逢うことはないのだ。
 
屋根の外は梅雨寒の雨。
『無事に赤道を越えていくんだ、向こうで逢おう』
梱包された木箱に、こっそりスキットルに詰めていった
<グラッパ>を垂らし、オレの口にも流し込んだ。
きついアルコールにブルブルッときて、
オレは大きな木箱に入ってみた。
 

 
親父の眼を盗みゴミ箱の中に隠れて編み物をしていた
ガキの頃の木の感触だった。
腕を刺すささくれさえオレを包んで温かい。
辿りつくまで六十年かかったこの船出には、
ジカンもかかったしゼニもかかったが、
ノーガードで打ち合うボクシングみたいな
燃費のかかるゲージツ生活を選んできたのは、
オレ自身だったのだ。
『このままOBJEの代わりに納まって
 オレ自身の棺箱みたいに船出したいものだが、
 日本を出る前に港の検閲で
 密航は見つかってしまうだろうなぁ』
束の間、箱の中で横になりながらシミジミしていた。
 
「あとはお任せください、無事ミラノまで辿り着くまで
 頑丈な箱が守りますよ」
梱包屋の若社長が覗き込んだ。
「あんたも一口どうかい」
スキットルを勧めたが、
「まだシゴト中ですので、事務所でお茶でもどうぞ」
右耳の奥の方でグラッパの酒精が騒いだ。
イケネェ、まだ昼前だぞ…。
茶を呼ばれた。
「ヨロシク頼むよ」と念を押して
茶うけの<信玄桔梗餅>の黄な粉が喉に絡まったから、
グラッパで流し込んだ。
 
収録のためにアズサにて東京へ。
早く着いたら久しぶりに野坂昭如さんと会った。
「還暦か、俺はアンタとひと回り上の午年なんだが、
 アンタに会うと忘れていた約束を思い出すんだ」
「何でしたっけ」
「うまいショーチューを渡す…」
「あっ、オレもノサカさんに会うと
 ショーチューを思い出すけど、
 別れたら忘れてしまうんだ」
「今度忘れないよ」
「巷でヒトに会うとはしゃいで呑むけど、
 ゲージツの時独りでは一滴も口にしないんだ。
 でも美味いと心から思ったことないんだ」
「俺だってそうだ。一滴でも口にするとイケナイ。
 アルコール依存症が騒ぐんだよ」
元気そうでお洒落な年上と、
控え室のベンチで呑み屋で会った時のように、
年を重ねる一回性の生々しい話を拝聴した。
「春一番を待つ勃起魔羅」
のオナニー話やエロ話で盛り上がっていた。
「お部屋へ案内します」
ADが告げに来て、
「じゃあまた」お互い約束も忘れてしまった。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2002-06-28-THU

KUMA
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