漂う<唯識>
オレの十数トンのOBJE群は
大井埠頭の<日通倉庫>にいる。
明日から40フィートコンテナ二本に詰め替えて
船積みされて、13日に埠頭を離れる予定だ。
<La Campanella>の酸化停止を施した部分以外は、
ここ2、3日の湿気で酸化速度が増して、
MUDIMA美術館に展示される頃には、
オレの企みどおり、円環のジカンが立ち現れてるはずだ。
イタリアの若手デザイナーらと
美しく分厚いオレのカタログを制作している
キュレターのドミニクから
『フランスのコレクターから二、三点購入の問合せがあった。
ミラノが終ったらパリに巡回しないか』
とのメールが入った。
FACTORYを訪ねた彼女は、
オレのOBJEを丁寧に読み取って、
今まで誰も気づかなかったオレのゲージツを解き明かし
長い解説文に書いてくれた。
ドミニクは、やっぱり本物のキュレターである。
しかしパリにも巡回したいものだが、
オレにはミラノに辿り着くのが精一杯で、
パリでやるなら今新たに創り始めた新作を加えたいし、
ミラノでの様子で決めても遅くないか…。
制作を終って山の部屋にあがる。
北野武巨匠から戴いた<とらや>の羊羹を七ミリに切って
茶を入れあれこれ思案する。
今回のMUDIMA美術館での個展を、
ミラノで途方にくれていたオレに
最初に勧めて手配してくれたのは、
ミラノのフランス大使館文化部に勤務していた
クリスチャンだった。
ジャパンの大使館や文化省とやらとは大違いの大人である。
彼は、これからの勤務地を
アフリカのセネガルに希望したという。
サハラ砂漠に鉄や溶接機などを運び込んで
三週間にわたってOBJEを創ったこともあるオレは、
いつかまたアフリカの大地を土や火で
ゲージツするのもイイな。
羊羹十四ミリの丸い甘味を、
二番煎じの新茶が喉奥へ流し去る。
写本した<唯識>手帳の小さな自分の字を眺めていると、
唯、いま、ここに居るというだけの妙な意識だけになる。
危ない。
海に漂いたくなり<そよかぜ荘>二階の古びた部屋。
近づく台風で荒れる三浦の海にカサゴを釣りに出た。
うねった海のカサゴのいる海岸べりには近づけない。
それでも三十分足らずで
丸々とした三十センチほどのカサゴを立て続けに四本、
同じ大きさのクロメバル一匹を釣り上げた時、
船長はうねりが早まった海をみながら
「風も変ってきたようだ。船を油壺の避難港に
入れなくちゃならないし、こんな勢いで釣られちゃ
絶滅してしまう。今日はこれまで」。
オレを港に降ろすと激しくなりだした海に出て
油壺の方に消えた。
ショーユで煮付けた無垢の白身を喰う。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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