クマちゃんからの便り

BLACKCAT IN BLUE


風六号が近づく大井埠頭を
ミラノへのOBJEが無事に出航して何日か経っている。
途中立ち寄る香港へ向かっている船を狙うように、
新しい台風七号が発生して
六号をトレースしながら北上しているようだが、
海からの不幸なニュースもないのは無事の証拠である。
OBJEが出て行ってしまい、
次の火入れを待つ巨大サイバー・KILN以外は、
八年前に建てた当時のように空っぽの体育館みたいな
FACTORY内に、
叩きつけるように浸入した六号の雨が
コンクリートの床に行き場のない大きな水溜りを作り
すでに小さなボウフラが盛んに泳ぎまわっているではないか。
放っておいても蒸発してしまうのだろうが、
また襲ってくる七号の雨が蚊の成虫化を助ける前に、
竹箒で排水作業した。
植物の生命力に取囲まれたアカマツ林も、
無花果の実が枯れ落ちたりあまり嬉しい出来事もないまま、
FACTORYの床にゴザを敷き
スッカラカンの頭蓋を横たえて、
次のゲージツのための空間を
あらためて自分の身体の寸法に取込んでいた。
マ、今迄だって、<イイこと>なぞ
百にひとつあれば上等だった。
急遽、山田邦子とのゲスト出演が決まった収録日には、
以前から<広告屋>の面々と釣りに行く約束をしていたから、
終了次第、茨城の波崎に向かうつもりで、
衣装の浴衣のほか、愛用のロッドやリールを持参して
スタジオにはいった。
台風が来るというのに…と呆れていた邦子と、
二重三重の壁をクリアした最後のクイズで、
苦戦していたオレ等のチームに奇跡が起こった。
なんと旅行券が当たってしまったのである。
瞬間、ゼニに換金して
ミラノへの資金の足しに出来ると思った。
こんな思いがけないゼニの入り方さえ<イイこと>になると、
しばらくまた地道な日々なのだろう。
収録が延びて夜十時ちかく、
スタジオまで<広告屋>のマチダが
自分のベンツで迎えに来ていた。
彼の仲間はすでに船宿でエン会しているという。
ロッドも積み込んだ彼の運転する後部座席で、
オレはスタジオから持ち帰った弁当を喰いながら、
まだツキから見放なされていないわいと確信した。
いつもはツマラナイ光に感じていた東京タワーさえ
余裕で見送ってやった。
道端の旗モノが左右に激しく打ち振られていた。
波崎からの情報では明朝の釣りにはまだ間にあうようだ。
真夜中に船宿到着。
コタツの上にはイモジョーチューの壜ひとつ。
待ちくたびれた面々はすで仏間の大座敷で
みんな雑魚寝していた。
仕方なくマチダとちびちびやっていると
<広告屋>の定年間際から中堅、新米まで起きてきた。
仏壇の前で眠っていた男が身を起こし
「明日は大丈夫」と起き抜けの顔で言う。
どうやら<仏壇屋>らしい。



風はあるが快晴だった。
五時<信栄丸>が繋留してある港の海は沸騰して、
尖がった小さな海の歯が次々に波止場を齧っている。
「大メバルをやろうと思ったけど沖はダメだね、
 風陰でキスでもやろうか」
という船長に任せた。
こんな時、任せるのは<仏壇屋>より<海の男>である。
大きな新造船に六人。
錘25号、青イソメを着けて初めてのキス釣り。
水温が下がったのか魚信はあるが喰いは浅い。
誘ったり、待ったり、やっとタイミングよく掛けると、
ブルブルッと25から28センチある
パールに輝く大キスである。
二十数匹。昼前に切り上げた。
帰りに<テイネン>宅に寄りキス料理をいただく。
オレの獲物は、すっかり弱ってきたが
八月六日、二十三回目の誕生日を迎えるオレの老黒猫
<ガラ>へのプレゼントになった。
せめてこの夏をやり過ごし
オレがミラノに着くまで生きるんだ。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2002-07-18-THU

KUMA
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