クマちゃんからの便り

高知の海

還暦を迎えて意識は一路ミラノに向かっている。
なおもジタバタと浮遊しつつ思案する生息方法は変らない。
六十年生息して残ったゼニを全部費やし、
ミラノに向かっているのだ。
一足先に出発したOBJE群は、香港港で別の船に積み替え
シンガポール港に向かい出航、
これからもアジアの沿岸をなぞりながら
いくつかの港に立寄って、ヨーロッパに近づいていくはずだ。

文無しになったところで、もともとが文無し。
ゲージツは勿論自前である。
呼吸したり屁をひったりすることと変らなく
ただ創る事をしてきたオレ〈=ゲージツ〉の
ミラノのコンテンポラリー美術館への旅ジカンは、
オレにとっても大事件になる。

文藝春秋の編集森青年と夜九時OPPにて落ちあい呑む。
スコッチウィスキーを飲みはじめ十二時過ぎると、
「あっ、誕生日になってしまいました」
森が言うからボトルを追加。
外は完全に翌朝五時になっていた。
OBJE制作ですっかり中断していた小説を再開する。
机に貼りついたままではすぐ飽きっぽいのは
ガキの頃からのタチで、これも今更変らない。
十年来のダチ、数々の工業機械の発明をしてきた
エンジニアー、高知県の北村精男氏は去年還暦を迎えた。
<サイレント・パイラー>という建設機械や
数々の建設新工法を発明してきてきた彼が
紫綬褒章を受けて祝いをするという知らせだ。
高知と言えば何年もイシダイ釣りに挑戦しては
ことごとく惨敗してきたが、
今年やっと九州甑島で初めて2.5kgを仕留めて以来、
イシダイは九州だ。

北村氏の祝いにイシダイはさておき高知へ浮遊。
しかし、こっちに来れば来たで
立派なエンジンを備えた船を持った男が現れて、
カツオ釣りに行かないかと誘うではないか。
十時すぎ須崎のマリーナから時速60kで一時間、
水深七百メートル。
船の十メートル脇に鯨が滑った巨体を静かに浮上、
物凄く深く世界を嘆いた長い溜息をつく。
イワシ鯨は五分刻みに現れては
オレ達の船が帰るまで見ていた。
「あの鯨はカツオを引き連れて来るきぃ。
 今日はいいかもしれない」
漁師の手釣り仕掛けを作りながら船男が言う。
蒼く澄んだ海に二十ヒロ落しコマセを振る。
流れるコマセが三ヒロのハリスの海老に届く頃、
小さなアクションを与えるとたちまちラインが張った。
凌ぐ。
フッキング。



腕でやり取り、引かば送りまた引き、手繰り寄せるのだ。
無理すればハリスは切れる。
腕をロッドに、リールのドラッグ代わりにのやり取りは
<老人と海>的な釣法である。
3キロのカツオを仕留めた。いいなあ。
ヒラマサを仕留めたあと、こぼれたコマセに群がる
餌取りのシラハギを眺めていた高知人・濱ちゃんが、
大きなタモ網でハゲを掬い始めた。
三匹、五匹たちまち十数匹。
太平洋をイケス状態にしてしまった。
夜、刺身の数々を喰って呑む。
しかし、煮付けたシラハゲがオレには一番美味かった。
宿に戻って原稿書き。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2002-07-28-SUN

KUMA
戻る