荒ぶるレインボウ
オレがはじめて津軽海峡を渡って内地・東京に上陸したのは、
ゲージツ家を目指し決死の覚悟で家出した十七歳の時だった。
四十数年前である。
当時、オレより前の世代の若者たちが
讀賣アンデパンダン展で大騒ぎして、
既成の芸術家や評論家を呆れさせていた。
そのなかで、頭をモヒカン刈りにしたボクサースタイルで
大きなキャンバスに絵の具を叩きつける
<ボクシングペインティング>と自ら名乗った
篠原有司男さんは、オレが初めて見た
現実に生きているゲージツ家だった。
まだハイティーンだったオレは
畏れ多くて喋ることも出来なく、
間もなく彼がニッポンを捨てて
ニューヨークに渡ったことは知っていた。
<誰でもピカソ>収録に
有名な巨大なバイクのOBJEとともに
その有司男さんが登場したのである。
喋り方も目の光もあの時のままだったが、
すでに白髪が薄くなりヒカリも増した頭を
スタジオでモヒカン刈りにしてから、
四十年前に観たあの<ボクシングペイント>を
ライブでやったのだ。
さすが四十年前の筋肉は落ちてはいたが
七十歳になったという彼は、
まだ衰えない精神のパワーだった。
ビンボーのまま、ニューヨークで今でも
ゲージツを激しく生き続けている彼に敬服する。
「オレは四十年ほど前、
GYU−CHANにお会いしてるんです。
声を掛けれませんでしたが」と言うと、彼は
「俺も十五年ぐらい前に、クマさんがブルックリンを
着流しで駆けてるのを見掛けて、
声を掛けようと思ったら走り去ってしまったんだ」
と言う。
確かにマンハッタン・ストリートの端から端までを
トラックでスクラップを収集して
ブルックリンの空地でOBJEを創ったことがあった。
本番中だったがオレは、
四十年前に憧れたゲージツ家と初めて握手した。
「ニューヨーク来たら寄ってよ」柔かい掌だった。
ゲージツが幾らで取引されるかは、
オレの知ったことではない。
バブルではしゃいでいた経済もしょぼくれると、
タマシイまでへたってしまったジャパン。
安い小商人の得体の知れない肉や野菜に群がる人々…。
バカンスで満席のアズサを避け、
ホリデイビューとかいう臨時便で山梨。
FACTORYに転がっていた硝子のカタマリを
ハンマーで叩き割る。激しい虹を創るスペクトルを創る。
そうだ荒ぶるレインボウの放射機だ。
カタマリを幾つか選抜して高松に発送する。
また高松の石切り場にヒカリのカタマリを持ち込んで、
ムカシ遊んだ牟礼の石工どもと削ってみることにしたのだ。
赤テントのなかに放射する大きなレインボウのイメージが、
頭蓋内に歪んでいる。
牟礼の石切り場をFACTORYにして、
<荒ぶるレインボウ放射機>シリーズを制作する。
ヒカリの魔術師…か。
オレは光の工芸家ではないことは確かである。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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