クマちゃんからの便り

食物連鎖
 
こりの末裔はヒラメを獲る名人だ。
彼が「おらもやったことがないけど、
ヒラマサの泳がせ釣りやったことあるかい。
マグロも回遊して来るかもしれないんだ。
ミラノ個展の成功を祈念して、壮行の釣りやるべや」
との電話だ。
スペクトルの実験を繰り返し虹発射砲は目前だったが、
こんな便りにはもう駄目だ。
「オレもやってみたい」
木こりの車で出掛け、朝四時半に海に出て
ヒラマサかマグロの活餌の鯵を獲る。
持って帰るワケでないから、
一〇分ほど活餌を釣ったら魚場に向かった。
まだ使ったことのないマミヤOPのスペシャル・リールを、
早乙女さんが削りだした特注のロッドにしっかり載せ、
ロッドホルダーにセットする。
二メートルのゴムクッションに繋いだ
七メートルほどのハリスに背掛けにした鯵を、海に放す。
今時木製の甲板の古びた梅田丸。
船長が三十五メートルを指示。
何を勘違いしたのかオレは、
仕掛け分を引いた長さのラインを出すと
解放されたのと思っている鯵が、
海の彼方に泳いでいき弛んでいるラインが
鯵に引かれて延びていく。
食物連鎖のなかで釣りをする。
釣り自体が食物連鎖なのだ。

イワン・ソープよりもっと物凄い速度で泳ぎ走りながら
餌を喰い、そのまま走り去るヒラマサやマグロは、
生まれながらに海を走りながら酸素を摂り入れる、
走りながら食餌し、走りながら死ぬのだろう。
何の反応もないままハイライトに火をつけ、
夜明けの海を眺めヒラマサの美しい流線型を夢想していた。
<待てよ…>オレは船長が言ったラインの長さを
勘違いしているのではないか?
離れて釣っていた木こりさんを呼んで、
ラインの長さを確認した。
「仕掛けの鯵から三十五メートルだべさ」と言う。
やっぱり逸る気持ちが余計なコトをしていたのだった。
リールを巻き戻し元気な鯵と取り替え、
今度は正確にラインを送り出した。
木こりさんにもまだ当りはないようだ。
自分のロッドに眼を戻した時だ。
<タイトライン!>オレは自分の中で叫んだ。
ラインはまだリールから引き出されている。
ドラッグを少し締めてロッドキーパーから外して、
思いっきりフッキング。
ロッドがしなった。

乗ったぞ!
根に潜られないようにリールを巻く。
マグロではないが、
鯵を呑んだ流線型が走っているのが掌に伝わっていた。
巻く。巻く。
ゆっくりヒラマサの動きを楽しんでいる余裕はないが、
ヒラマサの活力を感じひたすら注意深くリールを巻いていた。
船縁からでも横っ腹に金のラインを光らせた
ヒラマサが見えた。
ここでバラしてしまうことも多いと船長が言う。
竿を放りゴムクッションを取りラインを手繰り、
腕をクッションにして遣り取りする。
ついに木こりさんがタモに取り込んで手にしたのは、
4.5kgのヒラマサだった。



<来週はミラノに入りOBJE群の設置だ。
 幸先がイイわい>。
昼間で続けたが船中
それっきりだった。
「これから外川港に向かって、明日の朝、夏ヒラメやろうか」
まだ充たされなかった木こりさんが、
得意のヒラメをやろうという。オレに断る理由はない。
イワシの活き餌で夏のヒラメを釣る。
さすがヒラメ王の木こりさんは大きなヒラメを五枚上げた。
オレはそれより小さいが四枚だったが、
イイ壮行釣りツアーだった。




『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2002-08-29-THU

KUMA
戻る