MILANOに着いた記・・・3
夜中、また激しい雨になった。
明け方、原稿が一段落して窓を開けると、
女の眉のような細い月が架かっていた。
今日は朝からクレーン車の登場で、
鉄の重い作品を釣上げ二階の窓から入れるらしい。
雨は禁物だ。
宿の食堂で朝飯のパンを喰う。
早くもうんざり気味だが仕方ない。
以前は何処へ行ってもこんなことはなかったが、
ショーユ味の汁っ気が欲しくなる
のは少しヤキが回ってきたのかなぁ。
ボーイが「明日まで雨になる」と言った。
窓の外は確かに小さな雨が漂っていたが、
オレは晴天を確信していた。
MUDIMAに出掛ける前に
宿の近所の<最後の晩餐>を予約した。
十二時四十五分の回が空いていた。
空はついに初めて綺麗な青になった。
トラブルが発生してクレーンが出せないと
東京の日通から電話だ。
契約書に、作業中に作品を破損した場合の
保障責任が明確に記載されてないらし
く、クレーン会社が保証金の額を見て、
びびっているのだと言う。
保険の契約書を交 わしたのは二ヶ月も前のことだ。
今になってそんな寝言は知ったことか、
それを管理 するのが美術輸送の老舗
<日通>の仕事だろうが。
「写真も附いているし詳しいデータまで戴いているから
大丈夫です」
と言いきって一度もオレのOBJEを見に来ないことを
心配していたが、やっぱり現実になった。
海外までゼニを使って
電話で客に言い訳をするくらいなら、
事前に業者との業務連絡をしておくのがプロだろう、
バカタレめ。
口利き屋みたいな仕事振りにオレは呆れたが、
呆れている場合ではない。
日通と契約していたびびるクレーン会社を
解除してもらい、二、三の別の会社を当 たってもらった。
午後にグレーンが到着することになった。
パソコンのインターネットは繋がらない し、
機材の問題も出てきた。
ミラノとは言えやっぱしモンゴルや砂漠と同じ異郷だ。
打たれ強くなっているオレは
<最後の晩餐>のユダを見つけ上の空で眺めてから、
MUDIMAに向かう。
信号を待っていた。
「KUMAさんですね、先日地下鉄の新聞で
OBJEの写真入 の記事を見ました」
と声をかけてきた、
ミラノ工科大学に今年入学した学生だった。
「パソコンの調子がよくないんだ、見れるか」言ってみた。
工業デザインを勉強にきて今部屋を探している彼は
「見てみないと分からないけど、やってみます」。
「明日朝、MUDIMAに来いよ、
オレのパソコン持ってくるから。
これがギャラ だ」
オレは出来立ての作品カタログにサインして渡した。
何とか繋がればいいんだが…。
昨日と同じ<タータリア>の面々が
沈着にレイアウトしていた。
展示業務を担当する
<ファインアート・タータリア>の面々が、
黙々と丁寧に仕事
を進めてくれてホッとしている。
ジャン・ルカが
「昨夜は夜中十一時までかかって彼等は
前半の遅れを取り戻して、
今朝は八時から開始してます」
とまだ元気そうだ。
クレーンが到着した。
クレーンのフックがデザインされた
オレのティシャツを見た
オペレーターが「いいなぁ、それ」と欲しそうにした。
道路を封鎖してOBJEの箱が
青い空に吊り揚がって行った。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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