クマちゃんからの便り

ほぼ準備完了

九月十日、秋の気持ちのよい快晴だ。
手動フォークに載せた<V−CIRCLE>は、
MUDIMAの大きな入口の両脇三センチの隙間を
ギリギリ掠めて中に入れた。
さすがF−1の盛んな国だ。
「アイルトン・セナだな」オレが手を叩くと
作業員たちはちょっと照れくさそうに笑 った。
しかし、当初予定していた中庭へのドアは、
彼等にも三センチ足りなくて通過することは出来なくて、
入ってすぐのホールに置き去りにした。
すんなりと中庭に収 まるより
OBJEが選んだこの場所の方が
かえってインパクトがある。
五メートル×五メートルの
<La Campanella>の取り付けが
完全に終っ た。
ひと月半の海路でいい具合に酸化していた
オレの自信作だ。
まだクソ寒かった山 梨FACTORYに
独り篭っていたジカンを頭蓋内に想い起していた。
わざわざ山梨 までオレのOBJE群を見に着た帰り際に
「MUDIMAの壁からお前の音楽が流れ出したら、
 ヨーロッパでやるお前の個展は 成功だよ」
と挑発して帰ったデマッジョもオレの顔を見て、
ニッコリ微笑み指でOKサインをつくった。
ドミニクも、ジャンルカもフランス語や
英語やイタリア語でワイワイ言う。
オレには さっぱり分からないが、
表情や身振りからはデマッジョと同じだろうと
想像できた。
最後に残ったのが、
600kgある一番大きな鉄のレリーフである。
これがまた厄介で、さすがの丈夫な壁も
この重量には勝てず、吊るしたうえに台に載せて
下から支えなくてはならない。
そのための治具を作らせているが、
十一日夜になるから設置は当日朝になるらしい。
物質の重量も、酸化作用も、
風化するジカンさえもゲージツしてきて、
ここまで辿り 着いてジタバタする必要はない。
「こんなデカイものを設置できて勉強になったよ。
 記念にサインが欲しいんだ」
「お前等もオープニングに来いよ」
十二トンのOBJE群を
レイアウトしてくれた男等に言うと
「残念だけどまた次の現場でミラノを離れるんだ」
一人一人の名前をサインしたカタログをプレゼントした。
昨夜呑んだグラッパとホッとした所為で疲れが
ドッと押し寄せてきて、
中庭のテーブルをベッド代わりにして横になった。
そのまま眠ってしまったらしい。
眼を覚ましたときはすでに作業員たちは
帰ったあとだった。
心優しいラテン人は極東から来たオレの顔を
そっと覗き込んで
「疲れているんだなぁ」と
起こさずに静かに帰ったという。
起抜けに吸ったハイライトが
頭蓋内に染み渡った軽い目眩を楽しんでいると、
カタログをデザインしてくれたイタリアで
一番の若手グラフィックデザイナーの
Zaoualiが訪ねてきた。
彼も<La Campanella>と
<V−Curcl e>が好きだという。
夜、五星ホテルのレストラン。
水野誠一・みどり夫妻、OGINO夫妻、
小島マダム がディナーに誘ってくれた。
柔らかいシシリーワイン。
ロブスター、無花果のジェラード。
TUCCHYにホテルまで送ってもらった。
明日はシューマッハたち
F−1ドライバーと
ファッション・デザイナー合同のパーティに招待された。
なかなかウッカリ出来ないミラノの秋である



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2002-09-16-MON

KUMA
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