クマちゃんからの便り

とんでもないコトになった

今日はいよいよ密かに三年間企てて
自力で進行させてきた、
MUDIMA個展のオープニングだ。
朝起きると昨日までの秋空が雲に覆われていたから、
誰一人来ない会場を夢想したり、
ジャパンでやってきた個展のように無視、
無関心に終る不安で、
迫って来る時間に吐きそうになっていた。
ポジティブになろうにも、
ゼニの負担もそうさせないのだろう。
夕方から始まるオープニング・パーティだが、
昼過ぎMUDIMAに向かう。
タクシーの車内で、
ナルセもジッピーも緊張気味で無口だった。
「声出していこう ぜ!」
空元気で言ってみるもののオレが
また無口になっている。



美術館の入口に濃紺に大きく
KUMAと刷られたフラッグが下がり
ANTEPRIMAと小さく入っていた。
昨夜は一言も言ってなかったが、
IZUMIさんからのプレゼントなのだ。
勇気が湧いた。
展示はもう完璧になっていた会場を
一階から三階までゆっくり見て回っていると、
三時からイタリアの
テレビ局三社が時間をずらしてインタビューに来ると
ジャンルカが言う。
ニュースが二つと、人気のドキュメント番組だと言う。
不安は一気に吹き飛んでいた。
もう始まったのだ。
鉄を始めた理由やガラスに移行した切っ掛けなどを
質問されたが、TUCCHYと
嫁のANNAさんが通訳してくれた。
オレは完全に自由になっていた。
六時半にはすでに客が入ってきたが、
三十五年イタリアで通訳をしているサナエさん
がオレに張付いてのサポートしてくれた。
サイバー・高城が着いた途端に
オレのパソコンのクリニック。
彼の友情がありがたい。
ルイ・ビトン貴金属部のファイナンシャル担当の
美人部長が「素晴らしいわ」と
カタログにサインを求めてきた。
「また改めて観に来るわ」と帰っていくと、
後から後から有名な芸術家、彫刻家、評論家たち。
何をしている人か分からない
金持ちそうな夫婦や御夫人たち、
そうでもなさそうな人々が続々と入ってきて、
じっくりと丁寧に眺めて帰らないから
一階も二階も三階も身動きがとれなくなった。

オレはカタログにサイン攻めだ。
あっちに逃げればすぐに見付かり、
こっちに逃げればまた人だかりになる。
プラダ一族の長女夫妻がガラスの作品をお買い上げだ。
「カンヌにある別荘の海が見える窓に置きたい。
 今度観に来てね」
ハイ、サイン。
昨夜のF−1のパーティでの
マダムも約束どおり現われて二、三点買いたい、
明日ディナーに自分の家に来てくれと言う。
何てこった。
今までの人生でこんなに評価されたことのないオレは、
<褒め殺し>かとさえ思った。
サナエさんがイタリア人は
決してお世辞は言わないものよ、
お世辞を言うくらいなら黙っている、
信用していいのよと言う。
評論家の大御所が現われ
「全ていい。アンタの力強い鉄やガラスや、
 樹やロープまでひとつひとつの意味が伝わってくる。
 アンタはきっとこれからの
 何かを変える切っ掛けを創るよ」
ってなことを言ってオレの手を握った。
「グラッチェ、
 そのためにもオレをイタリアに呼んでくれ」
強く握り返した。



とんでもないことになったぞ。
花束を持ってやってきた
渡辺マリナがなかなかオレのところまで辿り着けない。
<誰でもピカソ>のクルーが到着だ。
九時過ぎOGINO夫妻が、
オレのために貸しきってくれた店に、
コレクターや評論家が入りきれない。
お開きになった途端、雨が土砂降りになった。
高城をフォアシーズンズに送って宿に戻ったが、
雨の音が<La Campanella>となって
パッセンジャーの頭蓋内に響き渡ってなかなか眠れない。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2002-09-19-THU

KUMA
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