イタリアの気配はオレに合う
オレは少しいらいつきながらMUDIMAで、
新聞記者を待っていた。
午後から二回も約束の時間を変更され、
三回目は<誰でもピカソ>のロケ現場に
落合う時間に迫っていたのだ。
「五時半になったら、
そっちの都合に関係なく遅れたらインタビューは無しだ」
ジャンルカに伝えてもらった。
今、中央駅だから間もなく着けるはずだと彼が言う。
十分前、入口から可愛いらしい少女が現われた。
後ろのすっきりしたスタイルの婦人が母親らしい。
TUCCHYが立ち上り
「彼女は有名な美術記者ですよ」
と言う。
オレは少女の美しさに気を取られていた。
「私はここのすぐ傍に住んでいます。
今月始めから、大きな梱包が運び込まれているから
何事が始まるのかって近所で話題になっていたのよ。
昨日観に来てあまりにファンタスティックだったから、
また寄ってみたの」
ツッチーも嬉しそうに通訳してくれた。
オレは彼女が新聞記者だと思い込み、
たちまち穏やかな気持ちになって
迫っているロケ時間を忘れそうになった。
カタログに彼女と少女の名前をカタカナで書くと、
見慣れない異国の記号に大喜びしている。
「KUMAに会えて本当によかったわ」
母親はオレの両頬にキスをした。
膝を屈めて両手を広げたオレに飛び込んだ少女も、
ちょっと恥ずかしそうにしながらも
母親と同じにキスをしてくれた。
柔かい薄い皮膚が暖かかった。
そこに少し緊張感のない身体つきのオンナが現われた。
こっちが新聞の記者らしい。
「時間がないようだからさっそく聞きます」と、
<V−CIRCLE>の前でいきなり
「このコンセプトは何ですか」ときた。
オレは思わず
「無礼者めが!そんなコトぐらい
自分の眼で解明せんかい」
と吐き捨てた。
ジッピーには
「訳さなくていい、オレが声と顔で伝えたから」
と言って、
「<La Campanella>だけでも
見せよ う」
オレは階段を駆け上がった。
1メートル平方のなかに10×10センチのピースが
百枚収まっていて、それが5枚×5枚で
出来上がっている。
長い海路の錆が三つの同心円を浮きあがらせている。
「極東から来た音を眼で聴くんだ」
彼女の質問が始まる前にヒントをやった。
一応頷きながら
「こういう形はどこからくるのか」
またバカなコトバだった。
「オレの頭蓋に決まっているだろう」
もう無駄だと思って
「あとはジャンルカに解説してもらってくれ、
オレは時間がないんだ」
打切りにして一階の少女の処に駆け下りた。
もう少女と母親はいなかった。
「必ず作家に伝えてネとあの少女が僕に念をおして、
ちょっと前に帰えりました」
「言伝って何んだったんだ」
「V−CIRCLEが好きで、
ワタシはこれを運転して
雲の向こうまで飛んで行けるような気がするって、
眼を少し潤ませてました。
僕までつられそうになりました」
「あの子は幾つぐらいかなぁ」
「八歳です」
MUDIMAの前に出てみたが、
もう彼女の姿はなかった。
感性を失って<コンセプトは>なぞと言う
鈍いオンナは何処にもいるもんだ。
大事なオレのジカンをカッパライやがって。
「オレはもう行かなくてはならない。
TUCCHY、
さっき母親がくれたメモに携帯番号があったろう、
明後日、午後二時に待っていると伝えてくれよ。
少女と一緒に<V−CIRCLE>に乗って
写真を撮りたいんだ」
オレは待たせておいたタクシーで現場に向かった。
ヴェネチアから出てきてミラノに泊り込みで
オレの手伝いをしてくれたTUCCHYも、
明日朝早くロンドンに向かう。
明後日にはメキシコに向かう北野巨匠から、
電気ポットやカップラーメンを戴いた。
240Vの強烈なポットは、一分足らずで沸騰する。
パッセンジャーの早起き朝食は、
即席の野菜ワンタンスープだ。
どんなイタリアンより美味く感じた。
あと二年あれば、
イタリアでまだ誰も見たことのない
ヒカリや鉄のOBJE群を創っ
て、新しいオレを確立出来ると思う。
そのためには何度でもタフに通ってやるわい。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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