シシリー
ミラノから飛行機で一時間半シシリア島。
観光も終り静かになった島は気候も
今がベストシーズンだと、ジノが言っていた。
荒々しい地層の景色を浮遊し更に南へ、
六時間かかって<シャッカ>という海に面し た町だ。
地面が濡れている。
静かな夕暮れに海の上に虹が現れて、見る間に消えた。
出発直前に完成した
赤テントの虹発射装置はうまく機能しているのか、
それにしても ムカシのような気がする。
チェックインするカードに
漢字で書き込むオレのサインを、
カウンターの娘が珍しそ うに見ている。
そこに現われた、
ジノと兄弟みたいにしているマブダチの
<ニノ>という男の掌に は、
引き千切った新聞が握られていた。
猫背で小柄だが、
白髪混じりの髭を蓄えた彫りの深い彫刻顔だ。
「KUMAか」
「そうオレがKUMAだ」
「しかしアンタのことが全国紙に、
こんなに大きく載っているんだ。凄いな」
イタリア語しか喋れない男と
日本語しか出来ないパッセンジャーは
すぐにダチになった。
「いやあ、オレはまだ無名同然、まだ始まったばかりだ」
「ミラノで成功したんなら何処イッてもこわくないよ」
「そうか、ありがとう。
これから何度もイタリアで制作して、
何度も発表するさ。
観に来てくれ」
「これは俺の宝モノだからやれないが、
コピーをやるよ」
カウンターの娘に録らせたコピーをオレにくれた。
ジノと同じような年恰好でオレよ り少し上だろう。
「イタリア語しか出来なくて悪いな。
でもなんでも言ってくれ。オレが手配するよ」
「いやいや、ありがとう。
オレはただボンヤリと釣りをしていたいだけなんだ」
「任しとけ、オレのダチに漁師がいるんだ。
釣った魚を彼に料理させるよ。
ヤツは料理も上手いんだ」
「あとは何をしたい」
「明日も明後日もただ海に漂って釣りをする」
「ここはギリシャ、ローマの時代からの交差点だよ。
色んなモノが残っているんだ。 観なくてもイイのか」
「オレを圧倒するこの荒々しい景色に漂うだけで充分だ。
景色に生き続ける人間のなかで、
営々と残っている海や陸の
ジカンの欠片に興味があるんだよ」
「それもイイな」
ニノはお前の好きなように充分に過ごせるように、
何でもすると言う。
きっとジノからも言われているのだろう。
決して裕福そうではないが、
シシリー男の優しくしかも頑固そうな顔だ。
オレがメシを奢るから、
伝統のシシリー料理に連れて行ってくれと頼んだ。
久しぶりの魚料理だった。
松の実入りの無花果のソースがかかった鱸が
たまらなく美味い。
チョコレートのクレープに、
湯がいたりせず大雑把に叩き潰しただけの栗の実を
カスタードとシナモンと一緒につつんだ
<ウツボのタマゴ>というデザートは
いかにもシシリーだ。
明日は、シシリーの漁師の舟にのって
漁師になったパッセンジャーは、
地中海に漂ようのだ。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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