クマちゃんからの便り

アリベデルチー!

あのオープニングの騒然とした会場でSANAE女史は、
オレにぴったり張付いて、
「あなたはこれからの
 モダンアートの流れを変えるかもしれない、
 すばらしいデビューだ、おめでとう」と
オレの手を握ったまま
Alturo Asthwaaz氏が言ったコトバを
右の耳元で同時通訳し、
次々に現われる評論家、美術記者などの質問や、
オレの意見をほとんどタイム差なしに
伝えてくれたのである。
彼はダダをイヴェントして世界を驚かせた巨匠だ。
ちょっと戸惑うオレに、
「芸術に出会うイタリアの評論家や芸術家、
 一般のヒトも決して御世辞は言わない。
 自分の人生に関係の無い
 そんなコトバを吐かなければならないくらいなら、
 沈黙するかその場を立ち去るだけです。
 KUMAさんを讃えているのは、
 本当のコトバだから信じてイイのよ」
と彼女が言ってくれたから少し落ち着いた。
オレが強く言う意見を、
彼女は相手に強く伝えているのが分かった。
自分の考えを言うし、
相手の意見を興味を持って訊く。
ただコトバを訳すだけなら、
<異文化コミニケーション>の謳い文句の外国語学校や
留学で何とかなるのだろう。
しかし道具としてのコトバを
どのように使うかは頭蓋の問題である。
「いまさらKUMAさんが
 外国語で中途半端なコトバを喋ることはない。
 すでに世界に通用する
 ゲージツ言語を手に入れたんだから」
イタリアに三十五年以上根差す彼女の普段の仕事は、
商社だけでなく個人の通商交渉や
面倒なビジネスの権利を代理することである。



オレが帰国する日のこの時間しか
彼女の時間は空いてなかったのだ。
約束どおりの十一時きっかり、
ピンヒールが良く似合う日焼けした小柄な
SANAE女史が、中庭の石畳を横切ってきた。
「先日は本当におめでとう」
「ありがとう。お陰で大助かりでした。
 でも外国で発表するには、
 やっぱり難しい問題が山ほどあるんだね。
 シャドウボクシングが終わり、
 奇跡的なライセンスを獲ったオレが、
 これからはこっちに出掛けてきて創作、
 そしてこっちのリングに上がるんだ。
 この成功の一回ぽっきりで止めちまうなら、
 今までの長いシャドウボクシングが
 意味なくなってしまうんだ」
「そうね」
「SANAEさんにオレとMUDIMAや
 コレクターとのエージェントをお願いしたいんだよ」
「それが私の本職よ。
 信用するとかしないとかだけでなく、
 問題が起きたときの責任が
 どっちにあるかというのを明確にするのが契約書なの。
 それによっては成功しても大損害ってこともあるわ」
「なるほどな。細かいことは帰ってから
 また電話やメールやFAXで遣り取りするけど、
 ヨロシク」
「いいわ。頑張ってネ」
オレのプランや心積もりのコトバを、
SANAEさんがMUDIMAのビビアンに
穏やかに力強く伝えた。
ビビアンはにこやかに
「その方が私たちも助かるわ」と言う。
<KITANO>巨匠や森社長の忠告どおりに、
帰国寸前のオレは何とか次に進む足場をつくることが
出来たわい。
きっと来春はイタリアの造船所で、
パッセンジャーは新しいゲージツを始めているだろう。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2002-09-29-SUN

KUMA
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