<ツ抜き>のゲージツ
しばらく留守にしていたFACTORYでのゲージツ再開は、
またスパーリングのように
ひたすら鉄に刻み込むジカンが、
山の中で三日間過ぎていた。
最初はなかなかスピードが出なかったが、
時間とともに頭蓋と掌が繋がってきた。
プラズマ・トーチを握りながら鉄板を噴きぬいていく。
<LaCampanella>をこうして創っていたのは、
まだ三月ごろだった。あれはもう終ったことだ。
今回始めているのは、
もっと三次元的なものになっていくだろう。
鉄片が100枚終えた時、
文春の森青年からのケイタイだ。
「もう新しいコト始めているんですか。
僕は今、長崎から戻ったんですが残念だな」
「何かあるのか」
「お約束の釣りに同行したかったのですが」
「何いってやがるか、今、明日行くことにした。
カワハギ釣りだ。合羽だけは自分で用意しろよ。
時差ボケだか本当にボケたのか分からん…」
「まだ一度も釣りしたことないんですがヨロシク」
森青年の電話で突然、
台風で断念してゲージツに戻っていた
オレの頭蓋にあっさりと海が甦ってしまった。
鉄の外部アシスタント鉄工場のジョーに連絡。
<BIG SAOTOME特注>のカワハギ竿に
ちょっと重いがアブアンバサダー・リールを持って、
彼の車で夜中に布良港<仁平丸>。
森青年には古くなったカワハギ用の竹製江戸竿と
リールをプレゼント、
これで一匹でもあげれば、彼も海の虜だろう。
<LaCampanella>の制作前に来て以来だから
半年以上前になった。
「今回のオレのテーマは《ツ抜き》だ」オレは宣言した。
「ツ抜きと言いますと」
「八ツ、九ツ…ときて十からは
<ツ>がなくなることだよ」
「二桁ということですね」
朝、五時出港。潮が速過ぎるし
水温がまだ高くて喰いが悪いと船長が呟いた。
ジョーが最初の一枚目だった。
リールを反対に巻くような初心者の森君は
悪戦苦闘していた。
船酔いさえしなけりゃイイのだがと思っていたら、
彼は嫌な予感が的中して
ビギナーの森君がイイ型のカワハギをゲット。
こういうことはよくある。
オレがやっと一枚ゲット。
ジョーはいいペースであげていき差が開く。
オレとビギナー森との
デットヒートといってもボチボチのペース。
ジョーが六枚から伸びない。
オレの調子がもどると伸びていき
トップの九ツになった。
ジョーも追いつき同数。
それからがダメだ。
とうとう、《ツ抜き》にはならないまま昼前終了。
船酔いもなくビギナー・森は
イイ竿とリールで六ツになっていた。
オレのGARAのために六枚はオレが没収した。
時差ボケが残っているオレは、晩飯を喰っていても眠い。
お釣りを待っていても眠い。
森君らと喋っていても眠い。
こんな経験はガキの頃以来だが、
《還暦》はオレを稚児還りさせたのか。
八時には宿に戻って眠ったが、
夜中になって雨と風が窓ガラスを撃つ音で
眼が覚めた明日の釣りはイカンなぁ…。
激しいイナズマと大音響。
電波が不安定な部屋でケイタイでパソコンを繋ぐ。
東京から一トンのKUMABLUEのカタマリを創る算段や、
ベネチアのTSUCHYから造船所の情報が送られてきた。
疲れを知らない<稚児還り>の次のOBJEは、
《ツ抜き》の規模になりそうだ。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。 |