大倉ヴァイブレーション
台風が真上を通過する予報で、
あの時の竣工式は準備していた紅白の幕も、
オレの作業場用テントも飛ばされてしまった。
それでも<UTUROU>の完成を祝い、
竣工式がある翌日は台風が逸れるようにと
工事関係者が敷いたゴザの上で車座になり酒盛りをした。
用意された鍋の中身は、
高知民の一人が飼っていた闘鶏だった。
闘うためだけに育てられたトリの筋肉は、
ブロイラーのニワトリなぞと違って
無駄な脂も無く柔らかい。
生でも喰って大酒を呑んだものだ。
オレたちの勢いは台風の勢力を凌駕して
少し方向を変えさせて何とか式を終えた。
高知県の四万十川の畔、中村で北極星を指した
三十二メートルの鉄のオブジェ<UTUROU>は、
今でも台風の通り道である高知湾に突き出している。
ミラノに出発前に、高知を訪れて、
県庁の濱ちゃんと災害復旧工事が終った
高知市郊外に広がる広大な田園を見に行った。
この地帯は一二〇ミリ/Hourの豪雨が
四、五時間降り続いた<九八年高知豪雨>に見舞われ、
新川川が決壊し二メートル水没したのである。
「山内家の野中兼山という人が、
仁淀川から浦戸湾へ木材を運搬するために作った
運河なんだ。
ここを親水地帯にしたいんだ。
ゼニのないシゴトだけどパワフルなOBJEを
創ってもらいたい。
そうだ、あの辺まで水没したんだなぁ」
彼は土饅頭の格好した山々の方に眼をやった。
山岳が海まで迫っていて平地が少ない高知では
大切な耕作地帯だ。
オレは地からの気配を感じていた。
「平時はこんなに穏やかなのになぁ」
と呟きながらも、少ない予算の数字が頭蓋を駆け巡っていた
剃りたての頭蓋を、微風に晒していた。
ダヴィンチが設計して
今なおミラノ郊外を走る運河の豊かな水量と、
畔にあった小さな古いレストランのリゾットと
KITANOのバースデイ・ワインを想い浮かべた。
地力がゼニを凌駕して「任せとけ」と言い残した。
「おかえりなさい。大成功おめでとうございます」
濱ちゃんからの電話だ。
さっそくですが川の件ヨロシクと言う。
「アイデアは出来た。安い間伐材を三〇〇本用意出来るか」
「何とかします」
宝生能楽堂に大倉正之助の
鼓を聴きに行く時間が迫っていた。
「木だ。もちろん火炎も使うけど
今度のオブジェには色々アイデアが含まれている。
ポイントと方角も大事なんだ。近近にもう一度行くよ」
「お待ちしてます」
大倉の大鼓を正式な能舞台で見るのは初めてだった。
少し緊張しながら水道橋に向かった。
舞台に黒い大きな<殺生石>。
正面で観ていたオレの位置から
大倉の姿はその石にスッポリ隠れていて、
鼓を打つ右手だけが見えていた。
クライマックスで殺生石が二つに割れ
野干<狐>が現われると、
大倉のヴァイブレーションがオレの頭蓋骨を
一層撃ちはじめた。
最後の「獅子」大鼓は、大倉が発想した独奏形態である。
肉体というプリミッティブなカタマリが発する彼の声は、
打ち鳴らすヴァイブレーションと共鳴して
オレの頭蓋を清浄にしていった。
来年またミラノ戦線に復帰する日を見据えながら、
スッテンテンになったオレは性懲りもなく年末にかけ、
山梨FACTORYの独りジカンから飛び出し、
高知、岡山、高松への
ゲージツ・ジカンに遊行するのだろう。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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