虹屋敷
待合わせ時間より早く
新宿<NADJA>に着く直前のタクシーで、
軽いとはいえ財布を忘れたことに気がついた。
慌てて待合わせのNADJAへケイタイして、
アンボにゼニを持ってきてもらう。
運転手と雑談して待っていると、
アンボが五千円札をピラピラさせて走ってきた。
ありがたい。
休みのNADJAでアンボ夫妻とスコッチを呑みながら
ミラノでの土産話をしはじめると、
負けたマージャン屋から逃げて来た四谷シモンも
自分のことのように、
オレのミラノ・デビューを喜んでくれた。
四人でタクシーに乗って鬼子母神へ。
うら寂しい参道入口で降りると
「テントまでのこのアプローチが大切なんだよ」
音楽を担当したアンボがしみじみ呟いた。
境内に張った赤テントで、
<唐組>秋の公演・虹屋敷の千秋楽だ。
直前に仕上げた<虹の発射装置>を
劇団の若い者に座長に渡すように言伝して、
オレはミラノ遠征に出発したのだが、
どんな具合に活躍しているのか気になっていた。
帰朝後もあっちこっち走り回っていて、
時間の都合がつかなかった。
それにしても赤テントを観に来るのは一年ぶりだった。
パレスチナ公演にも赤テントの一座に同行して
ポスターや舞台装置を六年ほど手掛けていた。
オレの二次元に、
三次元のOBJEを創ることの面白さに
目覚めさせてくれたのは、
もう三十年ほど前のことになる。
オレのゲージツは、美術学校なぞの教養ではなく、
日雇い労働やアングラ芝居ジカンで
学習したコトがメインだ。
唐組の芝居は相変わらずテンポもいいし、
都会の片隅で繰り広げられる物語も
ますます重層的になっている。
主役が嵌めた出っ歯の差し歯の顔が、
仮面になったようで不思議な演出だった。
そしてラスト・シーン。
花やしきの小さな模型にオレが創った大きな虹が掛かり、
バックステージの天幕が落ちると
夜の実景色にも虹が架かった。
役者紹介の最後に
「虹の仕掛け人、シノハラカツユキ!」
と唐座長が、硝子のプリズムを紹介してくれ喝采を浴びた。
ミラノでのオープニングが頭蓋を過ぎり少しほろりときた。
恒例のテント茣蓙桟敷で打ち上げの酒盛りで、
久しぶりに気持ちいいアングラ酔いに堕ちていくオレに、
座長から<虹発射装置>に思い掛けない金一封が出た。
アングラのイズマイの気配に、
オレはまたいっそうのパワーを受けた。
シモン、アンボと寝静まった参道をふらふらと通りに出て、
オレは一人タクシーに乗った。
懐のありがたい金一封を数えると、
忘れてきた財布の中身を超える枚数だった。
翌朝一番のアズサで武川FACTORYに向かう。
真っ白な富士山。
ひと休みしてから<La Campanella>の
正四面体に取り掛かり、来年のミラノへ向かい始めた。
通りかかった軽トラに乗って、
座長から頂いたゼニで越冬食料を買いに行った。
寒くなった夜、ミラノで唯一買った
MARIAGEの急須で茶を入れた。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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