鯛長者
このところの寒さで、ついに甲斐駒ヶ岳も白くなった。
オレのFACTORYは標高五五〇メートルにあるから、
陽射しの中で作業している防寒服に
甲斐駒の頂から飛んできた雪が舞う。
すぐに止んだが、今度は強烈な木枯らしが飛ばす
アカマツの針葉が頬に刺さる。
来年の個展に物凄い会場を見付けたと
ヴェネチアの土田君から映像メール。
一四世紀に作られた墓地か・・・
光学ガラス工場の窯を使って創る一トンの
巨大なKUMABLUEや、
鉄の正多面体や、
長い回廊をぐるりと巡る<La Campanella>には
ぴったりのロケーションなのだが、
後はゼニの算段次第だなぁ。
と想いながらも相変わらず構築するオレの世界のパーツを
創りつづけていた。
丸裸になったアカマツ林に、牟礼の石工が贈ってくれた
切り出しっ放しの五トンの石を置いてあるのだが、
そこに座って休憩。
ジッと石と一体になって遠くのヤマガラの声を聴いていた。
<ジタバタしても仕方ない、そのうち何とかなるさ>
林のなかの名もない枝に一枚だけ残り赤くなった葉が、
心もとなくヒラヒラしている。
オレには花に見えていた。
段々近づいてきたヤマガラが、
オレの視界に入り梢を跳び渡りながら
すぐ眼の前の桜の枝に留まり、
石になっているオレの様子を
しきりに頸を動かして覗いていた。
白っぽい糞を落としてまた飛び去ったヤマガラの体重で
しばらく揺れていた枝から、赤い花がついに離れた。
木枯らしの揺れと見分けつかなくなった。
「何してるだか」
往診途中の村のドクトルだ。
「雲を見ていたんだ。雪がくるな、早いぞ、今日は」
オレは甲斐駒の白い頂を指差した。
そろそろ切れる頃だと思って
目薬を持ってきてくれたと言う。
集中した眼が乾燥気味だったから有難い。
以前釣って三枚におろして冷凍してあった鯛を礼に渡す。
「海の魚なんか嬉しいね、お大事に」
「ありがとう」
目薬を二、三滴落とした眼に、
水もないスッカラカンになった
茶色い田圃の刈り取った稲カブの列が、
歩く速度で甲斐駒の裾に集っていく。
「遅くなりましたぁ」
中古のキズだらけの白い車から
石屋の倅ヒトシが降りてきた。
暫らく会っていなかったが
結婚して先月ガキが生まれたという。
高知でのオブジェ<森の記憶>に嵌める
分厚い硝子の切断を、
高松の石屋まで運んで細工する余分なゼニがないから、
近場の甲府にあるヒトシの工場を
借りることにしていたのだ。
「少し太ったな、ヒトシ。いつ生まれたんだ」
「一〇月九日です」
「分かり易いナ。じゃあ、発端は大晦日か」
「ええ、思い当たります。少し痩せましたか」
ヒトシは照れ臭そうに話題をずらした。
「オレは来年のヴェネチアに向けて、
粥と魚で自炊しながらゲージツ篭りしている。
重いけど運動になるから、ヒトシ運んでくれ」
極真空手三段のヒトシはキビキビと
トランクに硝子を運び込んだ。
「ちょっと待ってくれ。ガキの誕生祝を取ってくるから」
今晩、昆布締めに調理しようと
発泡の箱に氷で冷やしておいたもう一匹の真鯛を、
祝いと今日の使用料と運び賃にした。
海での獲物が山で役立った。
切断を無事終えると国母の屋根に富士山が燃えていた。
晩メシはモヤシ炒めと粥になったが、充分満足だ。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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