クマちゃんからの便り

森の記憶<続報>


「火災発生!春野町○○、延焼注意」

田園地帯に防災放送のサイレンとスピーカーがなり響いた。
ここから見える山際の集落から煙が上がっている。
<森の記憶>の鎮火と入れ替えに火災発生とは。
新川川の川原に待機して、炎上する
巨大な<森の記憶>のカタマリに、
川の水を放水していた東分団の消防車が
火災の火元に一番近かった。

「放水やめぇ! ホースを外せ!
 そのまま○○番地に急行準備!」

団長の号令だ。
一時も早く現地に駆けつける今、
川から蛇行した数十メートルのホースを
回収している時間はない。
まだ予備が充分残っている消防車の赤い警告灯が
慌しく回転し、鐘とサイレンが唸り出して、
もう団長や団員には、ゲージツと関わっていたときの
悦びの欠片も消えていた。しかし何か変だ。
小高い<森の記憶>に放水していた盛大な水が
消防車の足元までぬかるませていたから、
動輪が埋まってスッタクしてしまったのだ。
川原で少し傾いたまま消防車は、
泥を飛ばすばかりで動かなくなっている。

「全員で、消防車を押すんだッ!」

恩返しにオレは叫んだ。
火事場のクソ力、消防車は一気に抜け出した。

「火災を鎮火させたら戻ってきて、完全に冷却するから」

団長の声を残しそのままサイレンを鳴らしながら
走り去った。火災発生から二分、オレの頭蓋はすでに
<森の記憶>だけになっていた。

<森の記憶>

水蒸気を噴出すオブジェの熱気でまだ近づけないが、
四面の炭化具合を確かめ巡っていると
東西、南北に貫通させた方向孔の中に小さな火が興りだし、
梯子を掛け、今度はバケツ・リレーで川の水をかけて消す。

「周りの材をはずせ」

溜め込んだ熱で炭化した
「森の記憶」がまた炎上を始めるかもしれないと思い、
ゲージツ家が団長に成り代って号令した。
すでに辺りは暗くなり、
黒々とした<森の記憶>のシルエットが
乗用車のヘッドライトに浮かび上がった。
無垢の樹のカタマリが存在感を発していた。
あと二分早く火災が発生していたら、
消防車は<森の記憶>への放水を中断して
火災現場へ急行していただろうから、
完全に燃え尽きる<森の記憶>を
見つめるしかなかっただろうなぁと想いながら、
ハイライトの煙で一服していた。

今度は火事か・・・。

八年前、高知県で創った鉄のオブジェ<うつろう>の時は、
オレの作業テントを根こそぎ飛ばされる
台風の直撃を受けながら完成させた。
オレの頭蓋にある<天変の三部作>はこれで二つ完成した。
残りはいつになるか分からないが、
風、水、火炎、鉄、ヒカリ、樹ときて次は、
干満を途切れることなく繰り返す海になるのか。
炊き出しの握り飯とイノシシ鍋を喰っていると、

「春野町○○番地の火災は只今鎮火しました」

防災放送の声が流れる天空に満月が上がっていた。
頭蓋をすでにヴェネチアの造船所に飛ばしていた。




『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2002-11-21-THU

KUMA
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