高知の海
巨大な<UTUROU>を四万十川の河口近く
中村に建造してからもう十年ちかくなった。
その時、サポートしてくれた
地元の土木関係者たちに大酒呑みの釣り好きが多くて、
釣りに無関心だったオレのゲージツの合間を、
柏島の磯でのグレ釣りに彼等が誘ったのが最初だった。
流れを読んだ潮に、
小さな柄杓でコマセを少しづつ投げ込み、
浮き下を調整しサシエビを刺したハリスを流す
無骨な土木者の繊細な手さばきに見入ったものだ。
大海原に突き出した畳二、三枚程度の磯の上で日がな、
地球の自転速度と人生のジカンを感じながら
海の底を感じる微妙な釣りに夢中になり、
年に数度の柏島の磯通いがはじまったのだ。
激しくなるゲージツ三昧で最近は
すっかり四国まで遠征しての磯釣りから遠ざかり、
もっぱら千葉や三浦半島での船釣りになっていた。
乗り込んだ遊魚船がポイントまで運び
「ハイ、釣ってぇ」
「移動するからあげてぇ」
のスピーカーの号令に従う
船釣りばかりでは何かが物足りなかった。
無事に終った<森の記憶>の
エン会も終わりに近づいた午後八時頃、
「グレの季節だねぇ」
オレを磯釣りに誘い込んだ
張本人・ハマダが意味ありげに微笑 んだ。
「これから行こうかい。いいのか」
繊細でダイナミックなジカンを断る理由は
全くなかったし、道具はハマダの家に預けっぱなしだった。
「問題ない。
そうかと思ってすでに<大黒丸>に予約しておきました」
「こうしちゃいられない、出発は夜中二時だな。
もう寝よう、ハマちゃん家に泊めてくれよ」
「待ってました」
山育ちの高知民・エナヤンは、
船酔い症で釣りは全く無縁だったが、
六十五歳になる彼も誘い込んで同行させた。
柏島に近づくと冬の強い西風が吹きはじめていた。
ほとんどのいい磯はこの風に煽られると
釣りにならないが、
大黒丸の船長が何とか
風裏になっているハエに上げてくれた。
晴れてはいるが、寒い
わ魚の喰いが悪いわの最悪のコンディションに、
高知民のエナヤン、ハマダと一緒に鼻水垂らして、
うねる海に見え隠れする浮に集中して見詰ていた。
スポッ!
海に引き込まれたオレンジの浮はオレのである。
弛ませて潮に流し気味のラインを巻きとり
僅かな合わせをくれると、
グレの懐かしい 感触が伝わってきた。
竿を立てて凌ぎ四〇センチのグレを取り込んだ。
この日ほかの磯でも釣果は芳しくなかった。
エナヤンは二五、六センチのカワハギを数枚、
ハマダは馬鹿でかいサンノジを仕留めた。
船宿<大黒>の船長とカミサンにグレと
カワハギの煮付けと刺身、
エナヤンの提案でサンノジを珍しい
<塩タタキ>にしてもらい酒を呑む。
翌朝、五時半風も止んだ憧れの
ハエのアンパンに上がったが、
喰いは相変わらず渋い。
それでもオレは四〇センチオーバーのグレ二枚。
やっぱり磯釣りもいいもんだわい。
《いい連れと過ごすいい海のジカンがあって、
それで一匹でも釣れれば言うことはない》
漁師の真似事のように
釣果ばかり言い立てる船釣りも悪くないが、
磯釣りには刻々と
変化する海を読む自分のジカンがある。
まだ整備されていない地面の空気の中で
樹のカタマリ<森の記憶>が黒々と立っていた。
東京行きの時間まで五大山にある
<牧野富太郎植物園>を歩きながら、
圧倒てきなプランツ・パワーに心地良く包まれた。
ゼニのない高知には、豪胆と繊細を持ち合わせたヒトと、
樹と海がふんだんにある。
次はアイツの船で室戸に遊ぶ約束をした。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
|