クマちゃんからの便り

TSUCCHYありがとう


飛び込んで接近戦になると力を発揮するように、
オレの手や足は短く出来ているらしい。
短かったオレのヴェネチア滞在も一日だけになった。
朝、TSUCCHYと渡しの乗合いゴンドラで
運河を対岸にある魚河岸に渡った。
他のボートが脇を通過するとき
大きく揺れたりするが
爺も婆も若い女も男もガキも
乗客全員がセンターに立ち、
何食わぬ顔でバランスを取り水の上を往く
二分間の旅だ。
靴の中では数十本の足の指がいっせいに
伸びたり縮んだりして必死に底を掴んでいるはずだ。
牧歌的な観光用のゴンドラではこのような
高度な肉体認識は出来ないし、
だいたい高い船賃で安っぽいロマンチックなぞ
欲しくもないわい。

「今晩のディナーの材料を探しましょう」
タコ、イカ、マトウダイ、カジキマグロ、
タラ、アナゴ、大ウナギ。
オレの胃袋が唸りをあげる。
「海のリゾットはどうですか」
たまらんなぁ。大きなシ
ャコが跳ねている。
「塩で茹でただけのシャコにレモンもいいな」

一四世紀の修道会の中庭

ヴェネチア駅でミラノから来る通訳をしてくれる
早苗さんを待つ。
二〇〇三年の個展のミーティングだ。
最後の日、気候がオレを導びくように
午後になって初めて陽が射してきた。
久しぶり に背中が暖かい。
一四世紀の修道会の中庭に向かった。
条件を話し合う。
釧路に行ったこともあるという神父長に
カタログの<EGGMAN>を見せた。
オレを象った型に鉄を流し込んだ
等身大の鉄鋳物のオブジェは、
キンタマのペニスも少し誇張してあった。
「彼はこのようなモノをここに
 持ち込みたいと言ってるのですが…」
TSUCCHYが 神父に質問した。
「作品ですから問題ありません」
やわらかな微笑で静かに答えた。
敷き詰めた偉い坊さんの石棺の上が
そのまま回廊になっている。
その間もオレは庭園の空間に眼を飛ばして
頭蓋にデッサンをし、
入口の寸法を測って いた。
トンでもない大きさになっていた
オレの構想を運び込む算段だ。
神父が自ら巻尺を持 ち出してきた。
ムラーノ島の膝元でオレは未だ見たこともない
ヒカリを出現させることだろう。
「この鉄柵は外せるか」
オレの無茶がすでに始まっていた。
「元通りになれば可能です」
「溶接は任せなさい、お手のモンです」
話はいい方向に前進した。
後はまたゼニだなぁ。
薄暗くなり、ミラノに戻る早苗さんの
電車時間が迫って水上タクシーまで走ることになった。
ゆったり流れるジカンのなかを走っているのは
三人の日本人だけだった。
「出来ました」
窓の向こうからTSUCCHYの声だ。
ホテルから正確には三六歩。
彼は
「シャコにはこのシャンパンが合います」。
たまらんわい。

TSUCCHYの料理

心憎いヤツだ。

TSUCCHYの料理

「ヴェネチアがうまくいきますように」
最後の晩餐にアンナや彼の弟子も来ていた。
日本では見かけない野菜を焼いたサラダもなかなかいい。
名前は忘れた。
昂ぶる頭蓋を夜の冷気で冷やしながらゆっくり三十九歩。
部屋に戻って今日にミーティングを独り冷静に
整理していたら朝。
また舟を探して飛行機だ。
またすぐに戻ってくるだろう。

朝まで考え事



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2002-12-03-TUE

KUMA
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