静かな師走
水攻めのヴェネチア視察から戻ると
すでに十二月になっていた。
今度は冬攻めの山梨FACTORYに篭って、
早朝からただ淡々と頭蓋内のオートマチックを
一〇センチ角の鉄片に刻み込んでいる。
ゲージツ三昧の再開である。
横に一〇〇メートル連続していく
《ヒカリのカンパネラ》のために、
三〇〇〇枚をひたすら
プラズマ・トーチで吹き抜いているのである。
バリ落しや掃除など雑用を
ビンボー絵描きのスガワラ君に、
頼んでみたもののあっさり断られてしまった。
井戸掘りの仕事が年内はびっしり入っているらしく、
さすが世間は師走だったんだ。
仕方ないから、細々した作業まで
全部自分でやりながらプラズマ制作。
バリ落しはグラインダー音が煩いわ、
同じ格好での運搬作業で足腰が痛いわ、
そのうえ広い構内の掃除も大変である。
それでも三〇〇〇枚に一枚ごとに近づく。
五〇枚ほどでちょっと飽きがきて
手が同じような記号ばかりを刻むようになってくるから、
気分転換に雑用を少しづつ片付ける
のだ。それにしても遠くてまだ先が見えてこない。
「置き薬屋ですが、在庫の点検と補充にきました」
何だか久しぶりのヒトの声だった。
「シゴト中だから、そこにある箱を勝手に点検してくれ、
何も使ってないはずだが」
救急箱を置いていき使った分だけ集金し、
また補充していく商売である。
包帯、胃 薬、風邪、腹痛、頭痛、
栄養ドリンクまで入っているが、
オレは殆ど世話になったことはない。
「えーと絆創膏一個空いてますね」
「そうだったかナ。
硝子で手を切るのはしょっちゅうだから、
使ったかもしれないナ」
「三百五十円ですから、
消費税入れて三百七十円になります」
「作業中でゼニは持ってないから、今取ってくるわい」
ゼニを取りに 靴を脱いだり
汚れた作業服のまま部屋に戻るのが面倒だと思った。
「いやいや、ゲージツ家の手を止めては申し訳ないから、
今度でいいです。忘れないように
請求書を箱に入れときますから」
さすが信用商売だ。
「いつ来るんだ」
「エーと来年になります ね」
「そうかぁ悪いな」
「それじゃあイイ年を」
とティッシュ一箱も置いて帰った。
こんな山奥では有難い。
いいヒトだ。
それにしても、
やっぱり山奥もやっぱし師走なんだ。
今日は調子がよくゲージツは夜中まで続き捗った。
膏薬をぺたぺた貼った足は
白タイツを穿いたようになったが、
バレリーナではなく《カンパネラ》が
張り付いたように見えた。
頭蓋内は昂ぶったままだった。
パソコンの難解なテキストを読みながら
フォトショップをいじって遊ぶ。
自動車も自転車も一台も走ってない
ヴェネチアと同じだが、
ちょっと違うのはヒトが話す大声がないのと、
裏の大武川の水音が途切れることなく
流れていることだ。
どっちもコドクが心地イイ。
明日も朝から同じ作業でまた少し三〇〇〇枚に近づき、
日が暮れていくのだ。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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