バイクに乗ったカマイタチ
生まれて間もなく患ったジフテリアで、
オレは来たばかりのこの世にオサラバするはずが、
何の加減か生き延びたお蔭で嗅覚との
聴覚を失ったらしい。
免れた味覚は結構微妙な味まで感じるが、
喰うことに向上心は育たなかった。
最近は喰うことがますます面倒になってきた。
しかしゲージツ・ジカンでも
やっぱり腹は減るから厄介で、
短時間の休憩時間で出来る粥がオレの主食になってきた。
下町の瀬戸物屋で見つけた
九〇〇円の値札が付いていた小さな土鍋が、
山ごもりの粥を炊く大切な炊事道具になり、
これは来年ヴェネチアに借りる工場にも帯同して
粥でやり過ごすだろう。
たまに高知の海に出掛けては高知民と磯釣りをしては、
<カツオのタタキ>で酒をもてなされる。
オレは生の魚は二、三切れで充分である。
ある時、磯からイシダイを狙っていた仕掛けが
強烈な反応をした。
ファイトした挙句に高価な
ウニの餌に喰らいついて釣り上がってきたのは、
不気味な色の皮膚を滑らせた憎っくき大ウツボだった。
ウッカリすれば指まで喰いちぎる勢いの
ウツボを叩き殺し、
エン会に持ち込んで
若い板前に「何とか<タタキ>にしてくれ」
と頼むと、三枚におろし皮を炙り、
刻み葱とスライス・ニンニクを山に盛った
見事な<ウツボのタタキ>だった。
分厚いゼラチンに包まれたウツボは鶏肉のように
柔らかくて旨かった。
先日、高知の板前が真空パックで送ってくれた
ウツボを刻み、スーパーで買った
中国産<ウナギ>の蒲焼に付いていたタレ汁の残りに
八角を放り込み煮込んでみると、
これがまたなかなかイケる。
今にも雪になりそうな雲に甲斐駒は、
すでに姿を隠していた今朝は、
<ウツボの粥>にしてみた。
クソ寒い今日の作業で冷え切った身体を暖めてくれる
ピッタリの粥だった。
作業を始めたオレの背後に、
突然重低音が迫ってきてシャッターを潜り抜け
大倉正之助がヤマハの
1200ccバイクが乗り込んできた。
NHKのETV番組の収録だった。
一〇年前に大武川上流に創った《風弦》の前は、
冷たい小さな雨がいっとき止んでいた。
彼がバイクにくくってきた大鼓を
<来年のヴェネチアに向けて言祝ぎ、祓って>
打つ鋭い音を独りで訊くゴーカなジカンだ。
鋭い金属音が剃りたての頭蓋骨に刺さり、
三十二メートルの《風弦》にバウンド、
足元の小石に当たり、
甲斐駒の裾野からまた残響のように戻ってきて、
スキンヘッドをヴァイブレートしていた。
辺りに轟くヤツの野性の地声は
《カマイタチ》みたいに
空気を捲っていくようだった。
バルト三国でのライブから昨日戻って、
山奥のFACTORYまで訪ねてくれた友情に感謝。
FACTORYで白い息を吐き鼻水を垂らしながら
二時間の対談が終わり、
バイクに跨り重低音を残して
カマイタチが東京に戻っていった。
雪になった。寒いはずだ。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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