クマちゃんからの便り

三千枚世界


全ての音を吸い取る雪が日がな降りつづけていた。
底冷えするFACTORY でオレはまたひたすら
鉄片を刻み刻み刻む。
三〇〇〇枚を目指して刻んで刻んでいるうち、
防寒服の中が汗ばんできていた。
何年か前カナダでのアザラシを取材した時、
小さな漁村の漁具店で買った縫い包みのような
防寒作業服がここにきて優れモノ振りを発揮して、
ジッパーを下ろすとティーシャツは
汗を吸い込みグショグショで湯気まで上がる。
刻んで刻んでいるがまだまだ遠い
<ヒカリのCampanella>は三月までかかるだろう。
夕方早めに終了して、
すっかり雪におおわれた大武川のほとりで
尺八を吹いた。
京都にある虚霊山・明暗寺で教わった
《嘘礼》この一曲しか吹けないのだが、
急く気持ちを抑えるには静かに
吹禅が一番効き目がある。
雪の景色の吹く端から吸い込まれていく音。



三度吹禅を繰り返えしいつも
吹禅ばかりではつまらないから、
古本屋で手に入れた尺八の音符集に載っていた
童謡も練習することもある。
気紛れな独学ではなかなか思うようにいかないが、
見渡す限り真っ白な景色が冷たい
サハラ砂漠のようだったから、
思わず吹いてみた<月の砂漠>が
いつも間にか完全に暗譜していたのが嬉しい。
ヒカリのように鋭く直進する
カマイタチの音を訊いたばかりの
オレの長閑な気柱は、
雪に吸い込まれて跳ね返ってはこなかった。
自分の頭蓋のために二曲吹けるようになった。
いつか、自在にブルースも吹けるとイイんだが。
オーガナイズしてくれる<パオロ>との厄介な契約を、
粘り強く細かく遣り取りしてくれる
エージェントのSANAEさんから
逐一メールやFAXでマネージャーに送られてきて、
こちらの希望を伝えて本契約までもうすぐだ。
来る日も来る日もオレは無言のまま
ヴェネチアへ向けての三千枚世界に浸っている。
来年六月オープンといえ、海路運ぶジカンを考えると
三月いっぱいまではこんな時間割が続くのだろう。
車を乗り入れ出来ないヴェネチアに入ってから、
一トン以上あるヒカリのカタマリを
どうやって天空に揚げるのか。
まだ具体的な方法は思案中だが、
クソ寒い山のなかから海を越えていくゲージツが、
十月にミラノ個展を終えたばかりのオレが
再び六月ヴェネチアに上陸して、
ひと騒ぎするためにひたすら刻み刻み、
磨き磨きヒカリを創っているのだ。


新宿<陶玄房>。
講談社現代新書で四谷シモンの<人形作家>という
自伝の祝い会だ。
唐十郎、嵐山光三郎、小林薫、不破万作、
高橋睦朗、南伸坊、コシノジュンコ、篠山
紀信、合田佐和子、渋沢龍子、松山俊太郎、
もう書ききれないほどの六十年七十年代からの
現役の面々が溢れていた。
NADJAに流れクソ寒い新宿もここだけは熱い夜は、
朝四時まで続いた。
オレはまた山奥のFACTORY、
三千枚の世界へ戻っていく。




『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2002-12-18-WED

KUMA
戻る