御年賀
ヴェネチアへのオブジェ制作が着々と進行している。
年明け早々雪が降り続き二〇センチ積もっている
FACTORYに入ったっきり、雪掻きしている間もないまま、
村の百姓が去年届けてくれた<武川村米>と
自分で漬けた梅干の越冬で、カンパネラを刻み続けている。
今年の甲斐駒の麓は特にクソ寒い。
朝開けるドアも結露が凍って開かないし、
風呂の水道も凍って入れないわ、
作業服の洗濯物は干す端から凍るわ、
水を使うヒカリの研磨なぞトンでもないことだから、
ひたすらプラズマで鉄を刻み刻み刻んでいる。
一〇〇メートルのカンパネラは今、
何とか十六メートルまで進んだ。
フルフェイスの溶接マスクの紫外線遮断硝子を通して、
緑味かかった青いプラズマのスパークのヒカリと、
高周波音とともにエアーの噴出し音が
日がな一日頭蓋をヴァイブレートしている。
寒さと単調な時間割の連続に夕方になると、
『どうなっても構わない…』くらいに眠気がやってくる。
オートマチックになってしまった
バーナーを握った手は動き続けいたが、
ついにオレは足元のパレットの上に
横になったら眠ってしまったようだった。
シャッターを激しく叩く音で眼を覚ます。
「だいじょうけぇ!」
誰かが叫んでいる。
なんだか凄く長い時間眠ったようだが
大時計では五分ほどだったようだった。
すっきりしていた頭蓋で、
大丈夫かって誰のことだと思いながらシャッターを開ける。
「開けましておめでとうごいす。居ただねぇ。
通りかかって、工場の前の積もった雪の上に、
入る足跡だけで気配がないし、ちょっと気になったから」
今年初めてのヒトは、雪の上に立っている
往診カバンを提げた村のドクトル・斎木だった。
「もうやっていただけぇ。今年はいよいよヴェネチアだぁね」
「やぁおめでとう。オレは正月どころではないけど、
ドクトルも正月早々忙しいこったね」
「年寄りが多いからこの時期、
突然の脳梗塞をおこしやすいだよ」
「独り暮らしが人知れず往ってしまったり、
婆さんに詰(なじ)られて
あっさり頸をくくった爺さまがいたりで」
「ありゃま、なにも急がなくても迎えが来るだによぉ」
オレもワケのわからない方言になっていた。
そういえばこのところ村の防災放送で
死亡や葬式のお知らせが響きわたっていた。
「せっかくだから栄養剤の点滴を一発打っておくかい?
お年玉」
クレーンのフックに下げた点滴袋と、
パレットの上に横になった右腕と細い管で繋がって
お年玉がゆっくり入ってきた身体が
だんだん温かくなってきた。
「ありがとう」
酒好きのドクトルにオレは
暮れにもらった芋ジョーチューを年賀に渡した。
今年も物々交換の経済が始まった。
今晩はもうひと踏ん張りして、
あと四メートル延ばすことにするかい。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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