シミュレーション
オレに用意された空間は十四世紀に建てられた
S.FRANCESCO教会の石の回廊とアーチで続く大きな中庭だ。
五年前、ニジェールのサハラ砂漠のど真ん中に
数十メートル地下の水を汲むための井戸が
二本残っているオアシスに創った鉄のOBJEは、
砂の中を数ヶ月かけて行き来する
キャラバン隊の目印になっているだろう。
古代のヒトが築いた石組みの井戸の縁に立てられた
二又の枝に二本に木で作った滑車が渡してあった。
三日も前からオレのOBJEを目指して
辿り着いた駱駝もヒトも、
いっせいに水を目指して走りだす。
井戸守り小僧が
数十メートルのロープを結んだゴムタイヤを改良した
バケツを地下に放り込み、
連れている驢馬に片端を繋いで井戸から離れて歩き出す。
キュルキュルキュル…
木と木が擦れる古代からの音が、
熱い風と砂の景色のなかに吸い込まれていく。
砂漠の何処からか沸いてくるように
頭に大きな土器を載せた少女たちが現われ、
井戸守り小僧は何度も往復して
水を汲みみんなの入れ物に分ける。
少女たちは家と井戸の間を毎日、
片道二時間を二往復するという。
まだ一日八時間歩いているだろう彼女たちの
ジカンのほとんどは二足歩行で移動することだ。
歩く先に佇む鉄とガラスのOBJEは
刻々と形状を変え続ける砂丘の目印だ。
ヴェネチアは車も重機も乗り入れ禁止で、
今でもヒトの話し声と運河の水の音だけで
歩く速度で毎日が過ぎていく
オペラ舞台のような都市だ。
オレのビレンナーレ会場は
イニシエのヒト等が建てた圧倒的な石の建造物である
S.FRANCESCO教会。
運河を幾つも渡って二〇トンちかいH鋼と二トンのガラスを、
サポートしてくれるムラノ島のマエストロたちと
人力で運び込み、<天空へヒカリ>建てこむのである。
頭蓋内シミュレーションを繰り返す移動電車の運転席では、
運転手の白い右手が忙しなく動いていた。
オレは考え込んでる場合ではない、手を動かすんだ。
サハラ砂漠でもモンゴル草原でも、
パッセンジャーのオレはこうして通過してきた。
それでも今回は、シミュレーションしながら
実際に全く同じ20数トンのOBJEを
山奥のFACTORYにて創ってみることにした。
重力1のパッセンジャーは、
転がり摩擦とテコの原理と螺旋を駆使して
イニシエの重量感に押しつぶされないように、
軽やかにオブジェを創りあげる。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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