極寒から極寒へ
CMの撮影で北海道へ向かうために
極寒の山梨FACTORYを出て羽田空港へ。
生まれ育った北の国のこの季節、
束の間、雲が切れて透明な陽のヒカリが
降って来ることもあるが、
安定した青空になることなぞ奇跡である。
ヴェネチアへの制作の手を少し休ませて、
まだ若かった頃の身体の
細胞が覚えている空気感に包まれるのも、
何かの縁だろう。
しかしやっぱり、札幌千歳空港付近は
猛烈な吹雪で着陸不能、
羽田を飛び立てないでいた。
せめて千歳に降り立てば予備日も一日あるし、
透明な<束の間>を待機出来るのだが、
ポカポカ陽気の羽田空港で遥か北海道の空を
心配してもどうにもならない。
かつて<UTSUROU>を創った高知では、
直撃予報が出た台風が近づいていて
翌日の除幕式が上陸予定時間と重なっていた。
根こそぎ煽られて空に舞い上がった
オレの作業テントは太平洋に消えていた。
当時持ち歩いていた
ポケットトランペットを出して吹きまくったら、
台風はあっさり進路を山口県方面に変えて、
知事も参加して除幕式モチ蒔きも
無事終わったことがある。
そういえば瀬戸内海に大崎上島という
一万五千人ほどの穏やかな小さな島がある。
オレが鉄のモニュメント<アマノトリフネ>を
創った最初の場所だった。
ここでも珍しく台風襲来予報が出て進路方角に
トランペットを吹くと、
直角に曲がって朝鮮半島に向かった。
オレはその頃からまっしぐらに鉄へ向かい、
トランペットは吹かなくなっていた。
羽田のロビーで長閑なメモリーに浸っていると、
アナウンスが始まって三十分遅れで
飛立つことになった。
ところが千歳空港の上空で飛行機はトンビのように
三十分以上もグールグル。
しかし引き返すことなくいつか降りることが
出来ればイイと思っていた。
窓の外はもう真っ暗だ。
予定よりたっぷり遅れた。
降りまだ雪が降り続くなか一時間半ほど走って、
スタッフが待つ録音スタジオ。
ナレーション取りをサッサと終えて時間も遅くなったし、
<さあ、天気祭りのエン会だ>。
CM撮影のロケで快晴を祈った
スタッフたちの顔合わせを兼ねたエン会である。
ショーチューと焼きタコ、ソウハチカレイの焼き物。
美味いが、オレのショーチューのグラスが
段々お湯の量が多くなっていくのは分かっていた。
翌朝は六時出発だからいつまでも呑んでいてはイケナイ。
スタッフの気遣いだろう。
明け方、窓の外は雪も止んで星さえ見えた。
零下十九度。
自前の着流しで雪に立つ。
寒くはない、こりゃ痛いのだ。
硫酸銅色の地平線から陽が出てきた。
零下のスキンヘッドに朝日が当たり
透明の温度がグングン上がっていく。
皮膚の細胞が記憶のページをめくり、
東京へ家出を決行する透明な朝の空気を開く。
撮影は午前中に予定カットをこなす頃、
スキンヘッドには零下ながら八度だった。
余裕で日没の空を待つ。
日本海側からすでに鉛色の雪雲が湧いていて
撮影上空の六割が覆われはじめていた。
雪がまた舞い始めた雪原を千歳空港へ。
途中立寄った温泉場で一時間だけの慌しい打ち上げ。
無事羽田に戻った。
めっきり機会も減った巷に出て銀座<まり花>で、
独り打ち上げしていると小説家の伊集院静が入ってきた。
久しぶりだ、旧正月のような新年の挨拶。
ヴェネチアを楽しみにしていると激励。
彼が出ていけば講談社の編集者、小説の話をひとしきり。
彼が帰れば今度は集英社。
深沢七郎さんの懐かしい話で盛り上がってオレが帰る。
一人でぶらりと入ってきた男 と
擦れ違いざまに酒を呑むのも悪くない。
また頭蓋をヴェネチア・モードに戻すか。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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