クマちゃんからの便り

極寒から極寒へ、さらに極寒へ

ヴェネチア個展への搬出は日々迫って今、
最終段階の仕上げに入っているのだが、
ときどきFACTORYを出て
ゼニ稼ぎに行かなくてはならない。
これも気分転換にはイイ。
しかし、今年前半のオレの巡りあわせは
零下に誘われているようだ。
北海道のマイナス十九℃の極寒から戻り
山梨FACTORYでクソ寒さのなかでゲージツ三昧。
酒を断ち粥を喰う暮らしで
<Campanella>はなんとか2400枚を越えたところで、
勘違いした通風が出てきやがった。
少し疲れが溜まったか。

今度は出雲の横田町にある<日刀保たたら製鉄>を
取材することになった。
雪が舞う出雲空港から車で一時間、
ここがまた雪が積もった山奥の広瀬町、黒田の森へ。
暫らく訪ねるヒトもいないのか
70センチの雪をこいで金屋子神社奥院の本社に昇る。
雪はオレの息遣いすら吸い取り、
天も地の区別のない白い景色の中で神木のカツラだけが、
黒々と積もった雪を載せて枝を広げている方向が
天を示していた。
無事のヴェネチアを祈願する。



通 風撃退もちょっとだけ頼んでみた。
横田町の古い旅館でパソコン開くと、
PAOLOからカタログ用のメッセージを
至急送れのメールがマネージャーから転送されていた。
さっそく書いた返信を、エージェントの
早苗さんが翻訳して送ってくれる手筈である。
国を越えていくには色んなヒトやゼニ、
ジカンさえ巻き込んでしまうのだ。
個展予告の<メッセージ>を掲載する。

二〇〇二年の冬の始まりの十一月、
再度ヴェネチアを訪ねた。
水の上に増殖してきた石で出来た古い都市は、
水に浸食され回廊のように張り巡らさ
れた足場板の上を、それでもいつもと変らない
ゆっくりとした生活速度で朝を迎え夜になった。
極東から飛んできたオレはさっそく、
十三世紀に建てられたという
Chieza di San
Francesco della Vigna
を目指して水をかき分けながら歩いていた。
待ち合わせの約束していた
キュレーターPAOLOの案内で、
狭い入口を潜り葡萄園
を横切って敷き詰めた回廊の石棺の上を歩いていくと、
数十本の石の柱で囲まれた二
〇メートル平方の四角い静寂があった。
そして四角く切り取られた空は、
アフリカ大陸から次々と押し寄せる水分を
たっぷり含んだ分厚い雲がビュンビュン走る束の間、
ドラマチックなヒカリを中庭に降らせていた。
鋼材を持ち込んで佇んだサハラ砂漠で砂嵐に直感した
<風の樹>を創ったときや、
モンゴル草原のど真ん中でゴビ砂漠からの
冬の気配を感じながらイメージした
<天外天風>を建てたときと同じに、
この十三世紀に建造された石の中庭でときどき
オレのスキンヘッドに降り注ぐヒカリを吸い取りながら、
<循環するヒカリ>をインスピレーションしていた。

エンジンも重機も持ち込むことが
出来ないゆっくりとした歩行速度の都市ヴェネチア
の長いジカンを記憶している寺院に、
二トンの硝子のヒカリの柱と五トンの鋼材を
運びこむのである。
オレはさっそく自分のFACTORYに戻り、
一本の長さ三メートル重量二〇〇kg
の硝子の柱を一〇本創りはじめた。
そしてマルコポーロと逆コースの海路で運んだ
ヒカリの柱と、
イタリアの鉄工場で加工する鋼材とともに 二〇〇三年春、ヴェネチアに水路で持ち込み
Chieza di San Francesco Vignaに
集結させるのである。
古代人と同じに筋肉を駆使した人力で、
<テコ>と<コロ>と<ラセン>の知恵で
圧倒的に循環するヒカリの塔を創るのだ。
死者が眠る石棺の回廊のレンガの壁には
一〇〇メートル繋がる<La Campanella>に、
石柱にくくり付けた二メートル以上ある
プリズムから大きなスペクトルを放ち、
中庭では<循環するヒカリ>の塔から
林立する硝子の柱が、
ドラマチックな空を屈折させ
大きなKUMABLUEのオブジェ群は
ヒカリを宿すだろう。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2003-02-05-WED

KUMA
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