神域に浸る
こんもりと綿帽子を載せた鳥居の下で、
プラスティックのスコップの先が
ときどき跳ね上っていた。
雪をかき分けて近づくと百五十センチにも満たない
小さな老婆が、ひとりで境内の雪をかいていたのだ。
神社の脇でお札を売っている
七〇歳になる氏子さんらしい。
よく来てくれたけどこんな雪は何年ぶりかと言いながら、
親切に四月になれば例祭が
あるから出直した方がイイという。
「これから日刀保たたらを観にいく前に
ぜひ金屋子さんにお参りしたいんだ。
雪なぞ構わないさ」と
急な階段が埋まっている雪の斜面を漕いで
何とか登りきった。
オレはよく天変に遭遇するのだが、
五年ぶりに再び訪ねた奥出雲の大雪は
オレを神域の結界にすっぽりと
包み込んでくれたのだった。
贅沢にもハイライトを一服してから、
自分の深い足跡を逆に辿って階段を降り、
カツラの下を通りかかるオレのスキンヘッドに
小さなヴァイブレーションが伝わってきた。
製鉄の神・金屋子さんが降りて来るという神木の枝から、
雪がオレの前に落ちてまた
静かな雪の森になった。
雪の中から突然さっきの婆さんがニコニコと現われて、
金屋子煎餅と神酒を入れたビニール袋を手渡し
「お気をつけて、四月の例祭には是非」
遠ざかるオレをいつまでも見送ってくれた。
見えなくなってから齧った煎餅の
儚い甘さが口のなかから消える頃、
麓にある宿に着きバッグを置いて
<日刀保たたら製作所>に向かう。
一メートルぐらいあるツララが下がり、
炎で真っ赤な高殿の窓ガラスのなかでは
<たたら製鉄>が二日目にはいっていた。
高さ一メートル×横三メートル
奥行き一メートルの土窯のホトに、
魔羅の形をしたキロを刺し込んで送るふいごの風で
アカマツの燃焼を熾り、
川砂鉄から純度の高い玉鋼を抽出しているのだ。
ホトというのは女陰のことで、古代人が考え出した
たたら製鉄法は火の神事でもあるのだ。
「五、六年前になるかねぇ、仁多町であんたに会ったね」
ホトを穿って炉内の様子を確かめ、
砂鉄を追加した村下が声を掛けてきた。
「鉄の講演の後、しばらく話しただろう」
見覚えはあるが煤けた顔の正体を思い出せない。
どうやらオレはボケてしまったようだ。
「あんたと同じヒトが他にいるとは思えないぞ」
と言ってまた窯の方に戻っていった
後姿は確かに見覚えがあった。
「あっ、キハラさんだ」。
思い出した。
この大きなたたら炉を指揮している村下は
五年前のあの木原さんだったのだ。
ヒトの身体に金屋子さんが降りて
鉄を自在にあやつるのが村下であると言われている。
三昼夜不眠で火を焚き続け今日は三日目、
いよいよケラ出しだ。
翌朝五時、訪ねた木原さんの頬は
カッターで抉ったように削げていた。
「もうすぐだね」
「あと五分で窯を崩してケラ出しだ」
高殿内に緊張がはしった。
村下の合図でキロが引き抜かれたホトの穴に、
棒を差し込んで窯を崩していく。
最後の神事に見えた。
「このまま冷まして二時間ほどで
三トンの玉鋼を掘り出します」
村下が言った。
挽き出されまだ赤味が溜まっている玉鋼の片側を持上げ、
水を含ませた丸木を数本転がし込んだ。
ウインチで曳くと地面から赤ン坊の生命を持った
玉鋼が這い出してきた。
神棚に村下を筆頭に無事を報告し感謝する。
神酒をおろして見学者にも注がれた。
柔らかいヒトの笑顔に戻った木原さんから、
オレも一杯戴いた。
「おめでとうございます。お疲れさんでした」。
水の化身の雪に包まれた神域に浸り、
火炎の神事に立ち会って確かなエナジーが宿った身体が、
またヴェネチアへ疾走である。
『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。
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