クマちゃんからの便り

さくらいく

武川村は満開の桜のピークも過ぎて
葉が目立ってきた。

激しいスケジュールの突然空いたオレの真空ジカンにも、
土や堅い殻を破って新葉が
一気にふきだす植物の暴力に、
FACTORYを囲んでいる山々の景色も、
ショーユ色から煙ったような緑の景色になるのだ。

「いるけぇ。神楽に行けるだか、迎えにきただよ」

シャッターの外で叫んでいる声は、
高台の半農半土木のSだろう。

『今日は山高のお田植え祭りだったか…』

軽トラの運転席に正月以来の一張羅、大島紬を着たSだ。

彼は、オレがオブジェを創るとき駆けつけて
巨大なレッカークレーン車を、
自在にあやつり手伝ってくれる。

神楽の舞い手だし美味い<武川村米>も作っている。

「あいにくの雨になったな」

「お田植え時期は、毎年こんな具合さよぉ。
 穀雨だ。ヴェネチア行く前祝いに、舞を
 観ながらいっぺえいくけ」

「手ぶらではなんだな。今、酒をとってくる」

貰ったままになっていた
<越乃寒梅>二本を大盤振る舞いだ。
のし紙を張り替え軽トラに乗り込むと、
垂直の雨が激しくなってきた。

見物人も疎らな神楽殿では、
すでに朝一〇時から始まっていた舞を、
涎のようなしずくを垂らした狛犬が
いっそう獰猛な顔になって観ている。

世話役の爺ぃたちが佃煮状態になっていた拝殿の座は、
濃い方言と合わない入れ歯の
聞き取りにくい会話に入れない。

かっては神楽を舞っていた彼らの
黒い背広に白いワイシャツに黒ネクタイの正装は、
目出度さより葬式の席みたいな雰囲気がして
酒もすすまない。

仕切られた障子を開けると、
衣装の綺羅やいろいろな仮面を揃えた部屋で、
ここから神楽殿に登場出来るようになっている。

膳には酒や、女等が作った寿司や
山菜の煮物や揚げ物が載っていて、
こっちは現役の百姓たちで若いといっても
四〇は過ぎている男衆が、
出番を待ちながら呑んだり喰ったりしている座に
オレも混じった。

後ろで、何度も同じ仕草を繰り返している者や、
金ぴかの綺羅を着け面も付けて
身じろぎもしないで座っている者もいる。

訊けば、この歳になって今日が初舞台らしく、
朝からずーっとこうして緊張のまま
出番を待っているのだという。

ふだんは田圃や畑を相手に
黙々とシゴトしている落ち着いた百姓も、
やっと上がる大切な舞台は
傘を差した数人の見物人の前なのだが、
それでも青ざめながら出番を待っているのだ。

白地に墨線が入った額を持った女神、
その前で舞うタジカラオウノ命。

額は象徴的な天の岩戸なのだろう。
演目は日本神話<古事記>に由来している。

「今、舞っているのはなんだ」

傍でみていた村の女に訊いた。

「雅美の亭主だ、マサオだべ」

「そういうことじゃなくて演目よぉ」

「オラ知らねぇ」

古事記を読んだことがあるオレには
山のモノを喰い、酒を呑みながら観劇した御神楽は、
山間の素朴な仮面劇だ。

午後五時すべてが終わった。

朝は快晴になったが強風がアカマツ林を揺らせている。

≪ 桜逝く 風のかたちに 夕映える ≫



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2003-04-25-FRI

KUMA
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