クマちゃんからの便り

自浄日

ヴェネチア個展は六月十二日から
十一月までの五ヶ月間だが、
その会期中の八月三十一日から
九月いっぱいリド島で開催される
ヴェネチア映画祭と同時開催の彫刻展
<OPEN2003>には、
オレのゲージツも招待されている。

今回は硝子を使わずに、
<まだ幼すぎるピリオド>と名付けた
久しぶりに鉄だけの大きなオブジェを創ることにして、
三月から制作していたのだ。
そろそろ最終の仕上げである。

鉄のゲージツを始めた二〇年ほど前のオレは、
隅田川を越えて鉄工場が多かった錦糸町近辺の
スクラップ場をうろつき、
都市の消費経済の絶頂が吐き出す鉄屑に映しだされる
文明の変容を眺め、
そんなフィールドワークの下町に棲みついた挙げ句、
三次元の創作のために
ゲージツのFACTORYを創っていた。

経済も下降をしていくと
スクラップ場から鉄のスクラップが減り、



オレのテリトリーは荒川も越えて
都市の背中を眺めながら歩いていた。

当時はまだススキやセイダカアワダチソウなどが
勢いよく茂っていた荒川べりの西葛西あたりは、
地下鉄東西線が走ってから
急速に家がたてこんで出来た町である。

そんなゾーンで働く爺は若い頃、
初期の新幹線の車体を造っていた腕利きの溶接工で、
オレの右腕のひとりだから一声掛ければ飛んでくる。

今回はオレが飛んでいった。

スクラップ鉄を使わなくなって十数年経つが、
何年ぶりかで荒川を渡って西葛西に通っている。

バーナーや溶接機を使い鉄だけで制作するのは久しぶりだ。

<まだ幼すぎるピリオド>と名付けた巨大オブジェは
<タナカ製作所>の工場の中で創っているのだ。

スパークする火花を浴び身体中細かい火傷しながらも
やっぱり、鉄の自在さと重量感はイイ。

鋼板を切った五〇ちかいピースを、
五〇〇個以上のボルトナットで組み上げていくと
直径三メートル、一トンの
巨大な真っ球体が出来る仕掛けである。

これをリド島で再び構築するのである。
二、三日、千葉の海に漂い
ヤリイカやハタ、ハラマサを追いながら、
ほとんど出来上がり
強い光りで溶接灼けで少し痛めた眼を自浄することにした。

そういえば久しく釣りに出ていなかったわい。

どういうワケか鉄の町には釣り好きが多くて、
夜中、車に乗せて貰い大原港・梅田丸。

ときどき乗せて貰う職業漁師の船はボロ船だが、
彼の腕はイイ。底さえ探れないほど潮が速い。

それでもオレは、大型のホウボウ、
ハタ、キントキ鯛を仕留めた。



ウネリの上で、オレの眼はたちまち治り、
寝不足さえ何処かえ消え、キントキの眼に空が映っていた。

マ、一瞬前のオレはもうすでに存在しないのだ。

静かな船宿の座敷でウグイスの声を聴きながら、
明日の仕掛けを作る。

『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2003-05-07-WED

KUMA
戻る