クマちゃんからの便り |
ヴェネチア浮遊 その1 成田・パリ・ヴェネチア 田植えがやっと終わったばかりの山岳地帯から、 まだ肌寒い雨の突き抜けて閑散とした成田空港。 今までだとミラノ経由だったのが パリ経由になっただけなのだが、 ヴェネチアまでのジカンが 今回ほど永く感じたことはない。 実際、滞空しているジカンは変わらないのだが…。 厳重に口鼻を防衛するスタイルのハゲ男が 得意げに機内を見回していたが、 誰一人つけてないマスクをたちまち外してしまった。 自分だけ生き延びようとするスタイルに キマリが悪くなったのだろう。 世界に蔓延中のするサーズ菌騒動のなかを 狭い空間に十数時間、 知らない人々と密封していること自体が 無謀なのかもしれない。 オレはそれどころではなく、 ジカンと大枚をはたいたヴェネチア遠征のことで 頭蓋内はすでに大騒ぎで眠らない日が続いていて、 機内でも昂揚してるのか眠くない。 飛び立つ寸前にハゲ男の隣に座っていた男が クシャミをした。 花粉症なのか、ハウスダストに敏感なのか 男のクシャミは連続したが、 今さら再びマスクを出すのは 後の祭りになっていたハゲ男は、 気の毒なことに平静を装い新聞を読んでいた。 彼の道中は後悔と不安に彩られたことだろう。 オレはというと、クシャミと同時に さり気なく完全に呼吸を止めた。 死の切っ掛けは、毎日毎日のニュースが それを実証しているように、 一尺以内に何時だって何処にだって 待ちかまえているものだ。 飛散源から少し離れた席だったから、 空気に漂ってくるイメージをして オレは毛布を頭から被ったら世界が真っ暗になって、 呼吸が困難になるころ眠ってしまった。 眼を覚ましスチュワーデスに PCのバッテリーを借りて原稿を打っていると やっとパリ空港。 乗り継ぎ手続きのカウンターへ。 ここにもマスク人間は見当たらない。 対応のネズミ顔した女は亜細亜面したオレを見るなり、 そそくさとマスクを掛けだすではないか。 生に執着する彼女に 一〇〇万ユーロのスマイルを贈ってやったら、 隣の紳士風のボスらしいのが 彼女の小脇を突いてたしなめた。 ネズミ女はバツ悪そうにマスクを外して、 ヴェネチア行きチケットの手続きをやっと終わった。 「メルシーボク」声を掛けると、 死の恐怖が遠のいた彼女は登場ゲイトへの路を 丁寧に教えてくれた。 ヴェネチアの大きく真っ赤な落日。 新しくなった空港でボテーロの肉女とTSUCHYが オレのアパートの鍵を持って迎えに来ていた。 水上タクシーで向かう。キッチンの他、 クラシックな部屋が三つもあってホテルより断然安い。 今までのゲージツ遠征で一番の環境だろう。 明日は九時からPAOLO等と作業の打ち合わせだ。 いよいよだ。 『蔓草のコクピット』 (つるくさのこくぴっと) 篠原勝之著 文芸春秋刊 定価 本体1619円+税 ISBN4-16-320130-0 クマさんの書き下ろし小説集です。 表題作「蔓草のコクピット」ほか 「セントー的ヨクジョー絵画」 「トタンの又三郎」など8編収録。 カバー絵は、クマさん画の 状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。 |
2003-05-20-TUE
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