クマちゃんからの便り

ヴェネチア浮遊 その2
司教、作業服、PAOLO主催のランチ。


半年前、ミラノ個展が終わって帰国したオレのPCに、
PAOLOから

「来年六月から再びヴェネチアでやってみないか」

のメールが入って、
水浸しのヴェネチアにひとり引っ返し、
待ち合わせたPAOLOと助手のJENMAが待っている
フランチェスコ修道教会を訪ねた。

案内された古い煉瓦の教会は薄暗く、
石棺を敷き詰めた回廊の広い中庭に出て、
もの凄い速度で千切れる雲で
いつまでも充たされていた四角い空を、
幾百年も前の死を詰めた石の箱に座って
弱いヒカリを眺めていたオレの頭蓋内に、
この永いジカン四角く切り取られて来たヒカリを
ゲージツ<LA LUCE CIRCOLANTE>は、
すでにデッサンされていた。

「ここ全部をお前に用意出来る最高の場所だと思う」

とPAOLOが言った。

「よしっ、決まりだ」

オレは契約書にサインをすると
後ろで大柄のロベルト司教も大きな白い犬と微笑んでいた。

「ゲージツは凄いけど、どうしてそんな血みどろになるの?」

エージェントの早苗女史も心配したが、

「生きる証拠さ」

と気張った半年間、
十トンのオブジェを創る事はどうってこともないが
相変わらずゼニとの闘いは続き身ゼニは底をついた。

心強い援軍、高知の技研製作所の社長や
<アンテプリマ>の荻野兄貴の手が届いて、
十六日ヴェネチアは初夏の空気。TSUCHYが迎えにきた。





オレがデザインした作業服を抱えて、
朝十一時アパートから歩いて一〇分ほどにある
フランチェスコ教会に向かう。
半年ぶりだ。
PAOLOもJENMAも待っていたが、
ニコニコ迎えてくれた司教のわきに白い犬はいなかった。

「あんなにKUMAになついていたのに、
 一月三日に死んだんだ」

穏やかな声で言う。

作業服をみんなに配り

「みんなすぐに着るように」

指示した。



教会内は白装束であふれ、
<LA LUCE CIRCOLANTE>の組立や
オブジェ設置を手伝ってくれる水上運送会社の三兄弟も、
オレの設計図に従ってさっそく寸法を取り始めた。

「私にもいただけるかな」

司教はどこまでも静かな口調だ。
背の高い彼には3L。
背中にサインをした。

みんなこのデザインが気に入ったようだ。

鐘が鳴り十二時。

「これはこの地方の農家で五百年以上続く製法で造った
 ワインだ よ。お祝いだからみんなで飲みましょう。
 去年取れた葡萄だからまだ熟成してないけど」
 
司教が運んできたワインをグラスに注いでくれた。

オレはワインのことに詳しくないけど、
頭蓋方面に染みこんでいく土からの濃い液が心地よくて
何杯もお代わりした。

「私はブランドの物は着たことがないけど、
 KUMAのサインが入ったこの服が
 初めてのブランドだよ。ありがとう」

オレとグラスを合わせた司教は静かに飲んだ。

三兄弟は

「OKだ、任せなさい」

部材の搬入は月曜日からになって少し安心。
兄弟のボートで近くの島に行き、
ニセアカシアの白い花吹雪のなかで
PAOLO主催のランチ。
呑む、喰う、大騒ぎが夕方まで続いた。

店の主も客も白装束の背中の<KUMA>を見て
興味を示す。

これはスタッフをオレの頭蓋に引き締める服だが、
ポスター効果もあるわい。ミラノ個展を見たという

客から頼まれ、料理皿に残っていた
烏賊スミでサインした。お返しのグラッパがきた。

オレは完全にアジャパーになっていた。

『今日は土曜日だったか…』



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2003-05-21-WED

KUMA
戻る