クマちゃんからの便り |
ヴェネチア浮遊 その3 ヴェネチアだけではないが、 ヨーロッパの日曜日は観光客相手の店以外は休みが多い。 スーパーも電気屋も八百屋も閉まっている。 オレのアパートはサンマルコ寺院の斜め後ろの ダウンタウンにあり、 奥まった路地に面した二階の窓を開けると、 土、日と休みだから門は閉まったままの 小学校の入り口が目の下だ。 朝四時になれば小鳥が競い合い、 そのうちゴミを出しにいく男の靴音が石畳の路地に木霊し、 やがて大声の子供らがサッカーボールを追って走り回る。 自動車が走らないヴェネチアの変わらない一日の始まりだ。 心強い<運河の三兄弟>と再会して 作業の見通しの目処がたち、 少し安心したオレは司教ロベルトからの振舞酒で 昼間っからほろ酔いになり、 ランチのグラッパを何杯が呑んで アジャパー状態になっていったのは、 時差ボケばかりではない。 気持ちのイイ朝、 これからの手順を頭蓋にイメージしていると、 アジャパーの隙間に畑を歩くオレがいた。 昨日ランチが終わって PAOLOが野菜をよく買いにくる 有機栽培の農家らしい。 朝鮮アザミを見たし、アスパラもいたし、 えんどう豆や名も知らない野菜も生き生きしていた。 屋根だけを張った農家の収穫置き場に 白い作業服のみんながゾロゾロ入って、野菜を買った。 オレは片隅の木のベンチによれたジャージーを着て 生真面目そうに膝を揃えて腰掛けている少年の、 眩しそうにしかめてこっちを見ている アスパラのような少年の顔が気になった。 手綱を引き寄せて 「レッグ…レッグ…レッグ…」 真っ黒い犬の頸を自分の顔に強引に抱き寄せて呟き、 ヒトに怯えた目をしているのはアスパラ小僧の方だった。 「レッグ!」 覚えた犬の名を呼びながら近づくと、 盛大に振ったレッグの尻尾は彼の長靴を叩いた。 ベンチの下で動いたもう一頭の大きな黒犬に 「コイツが悪いんだ」ブツブツ言っている。 近くで見るアスパラ小僧は少年ではなく中年男だった。 レッグがオレに尻尾を振るのを見て、 顔をシャイにゆがめながらやっと微笑んだ彼も 負けじと、レッグの頭を撫でていた。 島からあまり出たことのない彼は、 得体の知れないスキンヘッドのアジャパーを 同じ種類の人間と見たのか。 テーブルの上にPAOLOが買ってくれたらしい 朝鮮アザミとアスパラが載っている日曜の朝、 GENMAがポスターや招待状などの 校正刷りを持ってきた。 ゲージツに休みはない。 <運河の三兄弟>のボートで走ったPAOLOの ランチの島の名前は覚えていないが、 「KUMAの設置が始まればいろいろ問題も起きて、 ナーバスにもなるけどうまくやっていこうぜ」 PAOLOのコトバも思い出した。 怒りはクソみたいなもんで、 出さなきゃ身体に溜まってくる。 パッセンジャーはクソの仕方が大切なのだ。 今までゲージツを続けてきたこと自体が、 オレが生きることへの怒りだったかもしれない。 それにしてはここまで運んできた十数トンの <LA LUCE CIRCLANTE>は デカイクソだわい。 ムラーノ島にTSUCHYの親父フランコを訪ねた。 オレは小鳥や樹が好きで頑固なマエストロのファンだ。 日用品を買いに唯一開いているスーパーの棚に 黒猫印の猫缶が並んでいた。 傍らで排便に苦しんでいたGARAを想う。 往けるところまで自ら行くんだ! 『蔓草のコクピット』 (つるくさのこくぴっと) 篠原勝之著 文芸春秋刊 定価 本体1619円+税 ISBN4-16-320130-0 クマさんの書き下ろし小説集です。 表題作「蔓草のコクピット」ほか 「セントー的ヨクジョー絵画」 「トタンの又三郎」など8編収録。 カバー絵は、クマさん画の 状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。 |
2003-05-22-THU
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