クマちゃんからの便り

ヴェネチア浮遊 その4
狭い運河、力持ちの男達、ゴリラ男。


<運河の三兄弟>は朝七時開始。
時差ボケも一日で去ったオレは、
四時間の睡眠に戻った。

夜は原稿書きやホームページ更新などたっぷり出来て、
九時に教会に出掛けた。ロベルト司教と挨拶していると、
<兄弟>の水上トラックが横付けされ、
クレーンでの積みおろしがはじまった。

次男のファビオが親方で
三男アレッシオマッチョが八人従えて、
狭い運河を陸上より
自由に操船して他の船を蹴散らして
オレの梱包を運んでいる。

「マエストロ任せておけよ。
 分かったろう、俺達のチカラ」

ファビオが片目をつぶってみせた。
オレは彼らのひとりひとりに作業服を手渡し、
サインして

「ヨロシクな」。

何度か運河を往復した。
最後の三メートル五〇ある硝子柱五本入り一トンの箱は、
クッション材分を入れて四メートルの厳重なものに
箱屋が作ってくれたのだ。

オレの作業服を着た一〇人の男等が台車に乗せて、
広いカンポの石畳を往くのは壮観である。

しかし古く狭い教会の入り口で立ち往生していると、
近所の老婆が通りがかり

「何かあったの」

と深刻な顔で訊いた。
オレもちょっと厳かな顔を作って

「彼は、本当に背の高い男でした」

と答えた。
彼女はたまげた顔で胸元に十字をきって立ち去った。

「ここで箱を開けて、一本ずつ出して運んでもいいぞ」

「分かったマエストロ。ここは俺達の方法に任せてくれ」

ファビオは手動クレーンを巧みに使って
狭い入り口や回廊のコーナーをミリ単位にかわし、
休憩もとらず昼メシも後回しで
ついに全部中庭に運び終わって午後二時だった。

「終了五時までに
 <LA LUCE CIRCOLANTE>のベースを
 設置してしまうんだ」

「分かった、マエストロ」

なかでもアレッシオはとんでもない力持ちだ。
彼は十六歳でサッカーのプロデビューした
レッジョミリアの選手だった。
ユベントスで活躍していたプラティニと闘っていた
有望株だったが、今は兄弟で運送屋のリーダーである。
こっそりオレにズボンをたくり上げた。
右膝のわきに二十センチほどの古傷が二本走っていた。

「この勲章は置き忘れなくてイイなぁ」

彼は日焼けした顔をほころばせた。

静かな中庭に
ベースだけでも巨大なH鋼の重量感を放ちはじめた。

「明日は朝八時開始だ」

オレが叫ぶと、彼らは

勝利して誇り高くホームに帰る
選手たちのように見えた。

帰り道のまだ明るいサンマルコ広場の裏で、
アフリカ人たちが大風呂敷を拡げて
イミテーションバッグを売っていた。
もちろん非合法だから
警察が来れば、風呂敷の四隅をまとめて
すぐ逃げられるように
ケイタイで仲間と連絡を取り合っている。
ひとりの売り物には
村上隆のルイヴィトンが大量に並んでいるではないか。
ケイタイ警報が入り慌てて逃げるアフリカの大男が、
弾みで婦人を突き飛ばしたから大変だ。

近くにいたゴンドラ漕ぎ(ゴンドリエーレ)は
血気盛んで追いかけて殴った。
路地に隠れていたアフリカ人が出てきて
ゴンドリエーレにお返しだ。
別のゴンドリエーレが飛んできて蹴り飛ばす。
アフリカが出てくる、
ゴンドラが陸に駆け上がる、
アフリカ、ゴンドラ、アフリカ、ゴンドラ…
もう入り乱れて殴るわ蹴るわの
民族経済闘争の大騒ぎである。

夢から覚めたように息を吹き返して暴れ出す
最初のゴリラのような大男を、
立ち上がったゴンドリエーレが羽交い締め。
水面から飛び出してきた小柄なゴンドリエーレが
一間ほど助走をつけてゴリラ男のキンタマを蹴り上げた。

艫綱を持ってきたゴンドリエーレの親方が
グルグル巻きにした。

イミテーションのルイヴィトンが
石畳に美しく散乱して警察がきた。

ゲージツの都で、つかの間の激しく美しい
本物のストリート・アートだった。









『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2003-05-23-FRI

KUMA
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