クマちゃんからの便り

ヴェネチア浮遊 その9
運河の三兄弟、レインボウ、光動説


日に日に高くなってくる強い日の光は、
通い慣れた狭い路地の奧まで照らすようになった。

トンネル掘りが土産に持ってきた
<月桂冠>の祝い用一升樽をフランチェスコ像に捧げ、
ニッポンから持ち込んだ一〇〇〇メートルの荒縄で
鉄と硝子を結び、
そしてスペクトル(分光)の位置を決定する
一番大切なヒカリを循環させる総仕上げの日だ。

今朝は荒汐男、浮波美男に続いて
長男マックスの登場でそろい踏みした
<運河の三兄弟>が、
残りの四コのオブジェ梱包を開けて設置、
空いた梱包箱は五ヶ月間TSUCHYのファクトリーで
保管してもらうことになった。

当てにはならんが一級造園士の免許を持っているという
トンネル掘りが、
二〇メートルずつに小分けした縄の小玉を放りあげ、
受け取った上の四人が
硝子に巻き付けていくH鋼のうえでは、
直射を受けた脳天から汗がふきだす水の補給は欠かせない。

武川でもそう感じたのだが、
ヴェネチアの古い教会においても
荒縄を巻く行為は何か厳かな気分になるから不思議である。

ガキのころ裏山で、クリの樹に荒縄で繋がって
硬直した大人が下がっていたのを
発見したのはオレだった。

うどん屋の親父の頸にかかっていた
幾重にも巻いた荒縄の黄色が印象的だった。

米を成らし枯れても黄金色した藁でよった荒縄で
区画した祭りや運動会の地面をよく眼にしたが、
そこには易々と入れなかったのは
呪術的なチカラが潜んでいたのかもしれない。

少し前までは百姓の日常的なマチエールだったから、
村から来た起重機屋がさすがに一番慣れていた。

まだ雪が降ってる頃、甲斐駒をはるかに眺めながら
ひとりで巻いていた山の上から
ずいぶん遠いところまで来てしまったものだ。
一〇本全てを巻き終わると、
ヒカリと鉄と荒縄のバランスが
いっそう美しくなったところで、
樽酒を振る舞うと
オレの虹をみんな顔や全身に子供のように照射させて
遊んでいた。



慈円真は抱いた自分の犬にレインボウ、
三兄弟も、ジャパニーズも顔にレインボウ。

思い出の写真を撮っている。
刻一刻とスペクトルは動き教会の壁を昇っていき消えた。
天動説でもなく地動説でもなく、光動説だった。

「ありがとう、オープニング・パーティには
 来てくれるだろうな」
「もちろんだKUMA。このヒカリをまた観に来るのを
 楽しみにしているよ。
 素晴らしいヒカリのシゴトを出来てうれしかった」

まだ残っている樽を浮波美男は嬉しそうに抱えて
<運河の三兄弟>はムラーノ島に戻っていった。

「これから虹の調整だ」

ジャパニーズだけになり、
炎天の直射が降りそそぐ中庭には
縄を巻くささやかな音だけになった。
プリズムの入射角度を少し変えた。
現れた強いスペクトルがまた刻々と動き出す。

太陽が出ない日や雨の日もある。
自分でこのヒカリを探しにくればイイのだ。
これは書き割りや電動の虹ではないんだ。

「ヨシッ、ここまでだ」

ついに<LA LUCE CIRUCOLANTE>が完成した。
ジャパニーズの予定していた三日間が一日早く終わった。
「明日一日は完全オフだ。サンマルコでも何処でも
 観に行ってこ いよ」

オレはぐったり疲れて部屋に戻って眠った。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2003-05-29-THU

KUMA
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