クマちゃんからの便り

ヴェネチア浮遊 その14
山梨へ帰る。再びヴェネチアへ。




生温い闇を毛糸に編みこんでいたゴミ箱から出て、
十七歳から三十代まで通った暗闇は映画館だった。

場末のフィルムはよく切れてヒカリの虚構世界が終わり
一瞬強いヒカリを反射するだけの
しらけたスクリーンだけになった。

場内が暗くなったのは案外、
映画好きの映写技師がわざと悪戯で造ったかもしれない
暗黒世界のなかでオレの頭蓋が膨らんだ。

売るほどあった売れないジカンを、
自分の輪郭すら曖昧にしてしまう映画館で眠るオレは、
ただの闇好きだった。

ヴェネチア映画祭があるリド島のメインストリートで
同時開催する<OPEN2003>の今年のテーマは
<シネマとアート>だという。
ボルトアップで創った直径三メートルの鋼板の球体、
<まだ未熟すぎるピリオド>は
闇の容れ物だからテーマに添ってはいるわい。

西洋の硝子は薄く薄く天上のヒカリを
地上に透過するための歴史だったのだろう。

極東で創ってきたオレの分厚い凹凸のある硝子
La Luce Circoranteは、ヴェネチアの強いヒカリを宿し、
余剰のヒカリは虹になり回廊の闇溜まりを移動している。
天動説でなく地動説でもなく、光動説だ。

サンマルコの停留所から水上バス。
ヴェネチア空港を出たオレは、
アズサで山梨FACTORYに向かっていた。

出発前<まだ幼すぎるピリオド>に施した
酸化具合が気になっていたのだ。

留守中に雨が多かったらしく、
螺旋に切り刻まれた球体の裂け目から
溢れて拡がる闇の底に、
たっぷりした天水が溜まっていた。





ところが表面の錆び具合が気に入らない。
酸化膜が浮き上がっているのだ。
明るくなる朝六時を待って、
ワイヤーブラシで球体の広い表面積を刮げ落とし
密着した新しい錆を着けることにした。
造船所に引き上げられ遠洋漁業から戻った船底を
ツリ鑿で堅い殻を刮ぎ落とすシゴト。
赤い汁を出して壊れた海のメモリー。
ヒカリの影が闇なのではなく
ヒカリを集積して闇を創り出すのだ。

またヴェネチア個展のオープニングへ向かう。


『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2003-06-10-TUE

KUMA
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