クマちゃんからの便り

漂う時間割


自分がゲージツで消費してきた
鉄や硝子の重量と比較にならないほど軽い
オレの≪時間割≫は、
四、五時間の睡眠ジカンから生還して迎える
真新しいジカンをゲージツに浮遊してきた。
だから五年も一〇年の先を見据えた人生なぞ
想いも寄らない。
五年前にはオレがヨーロッパに乗り込んで
イタリアでゲージツ発表しようなぞとは、
考えのカケラさえなかったのだ。

去年のミラノに続き、今年はヴェネチア、
フランチェスコ教会での個展は六月十二日から
五ヶ月というロングランがはじまり、
山梨FACTORYに戻った。
八月二十七日からリド島で始まる
<OPEN2003>国際彫刻展に招待された
<まだ未熟なピリオド>を仕上げ、
横浜埠頭から送り出して、
少し疲れた躯を四国方面に浮遊させている。

十七歳で親を亡くし遺された唯一の肉親である兄と
屯田兵になって北海道に渡ったというオレの爺さんは
高知民だったせいか、
北で産まれたオレには南国土佐の血が濃いのだろう。

十年前、四万十川のほとりに
<うつろう>を創ってからというものは、
高知民らとの親交が急速に深まった。

そのなかの一人に技研製作所の社主・北村精男がいる。
彼は土木工法を革新していく
好奇心旺盛な世界的技術者だ。
訪ねるたび、酒を喰らっては、
美味いハガツオやウツボを喰いちぎり、
土木技術とゲージツのインスピレーションが飛び交う
<エン会>が繰り広げられている。

そして頭蓋がオーバーヒートしたオレは
柏島の一級の磯に逃げのび、石鯛を狙いの海底を探る。
一日目は炎天に脳天を灼かれ
集中力がないまま石鯛の魚信もなし。

確かにシーズンは外れてはいたが、
二日目の磯は土砂降りで集中力は持続するも
石鯛からの便りはなかった。

似たようなアタリをするイガミやテスを釣り上げ
高知の北村邸に戻り再度<エン会>だ。

高い梁に取り付けた滑車から下がっているロープの端は
紫の布に繋がっていてなにやら隠れている。

「このロープを引かないとエン会は始まらないき」

彼は悪戯っぽい目で見守っている。
きっとオレの好きなモノだろうが、
布から現れたのは黒い大きな特注の瓶だ。

「実は五年前に四万十の上流の酒蔵に注文しておいた
 <ダバダ火振り>ショーチューぜよ。
 それがうまいことに昨日届いたばっかりやき、
 まぁ一杯やってみとうぜ」

瓶には三十三度の栗ショーチューが
一斗入っているらしい。
茶をたしなむ奥方の杓子を借りて、
四万十時間寝かせた五年モノを汲みだすと、
舌の上を滑り墜ちて胃袋に消えていく
心地イイ記憶が残った。

「ミラノに続いてヴェネチアの成功、おめでとう。
 げによっかったねぇ」

抱えた瓶からみんなに汲み分けるのは、
オレのシゴトになってエン会が始まった。
このエン会を見越して五年前に注文してくれた
北村精男の予知能力に呆れながら、
煮付けたイガミやテスを喰う。
火振り酒を呑む、鯖寿司をほおばる。
そんな最中に、彼と土質工法を共同研究している
ケンブリッジ大学のプロフェッサー、
ボルトン教授が学生を引き連れて現れた。



初対面の彼はオレのカタログを熱心に観ていたが、
そのうち火振りショーチューを美味そうに呑みだす、
学者の目にはどう映るのか興味がわいた。

「ワタシのキャンパスには
 大きな鉄のオブジェがあるんだが、
 重苦しくて好きではない。
 KUMAの<Cirucorante>と
 替わってほしいものだ、高いだろうね」

「ゼニのことはマネージャーしか分からないけど、
 実現したらオレも嬉しい」

「来週戻ったら担当者に相談してみるよ。
 その時カタログもあったらイイんだが」

「すぐに今までの写真カタログを送る」

「凄くたのしみだ」

ヒカリや鉄の話しの最後に、
「科学者のインスピレーションの瞬間は、
 ゲージツ家のモノと同じだと思うんだ」

と笑った。

北村邸の静かな離れの部屋でオレは、
夜中に激しく振り出した雨音を訊きながら、
夢の中に気を失っていった。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

2003-07-18-FRI

KUMA
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