クマちゃんからの便り

気象の胸騒ぎ

 
 
 
 
 
 
 

はっきりしない空が続いていた。
気象はたしかに生き物の気分にさえ左右する。

台風10号の大きな渦の中心に、
くっきりと現れた<台風の眼>は北上を企んでいる。
このところ気象庁の進路予想で
<首都直撃>が当たった例はないが、
蕾が膨らんだジャスミンの鉢を軒下に移し、
新宿の地下飲み屋にむかった。

盆の里帰りか家族バカンス前の週末の店はガラガラで、
主夫婦はカウンター下に忍ばせた
小さな液晶テレビを音無で観ていたらしい。
彼らの後ろの目立つ壁に<ヴェネチア個展>の
ポスターを貼ってあった。
このポスターを見てヴェネチアまで
来る客はいないだろうが、
オレの旗であるポスターを眺めながら
ムカシ馴染みの主と、土産話や
アングラ時代の話を混ぜながら
芋ショーチュー<佐藤>を呑んでいた。
「わざわざ井の頭動物園に行ったよなぁ」
ゼニはないが時間は売るほどあったアングラ時代、
近づく台風情報に、急変する気圧に反応する
野生のカケラを風雨の動物園でずぶ濡れになって
観ていたものだった。

「台風はまた東京を避けるだろうなぁ」
と言うと
「巨人は勝っているけど、山の工場 は大丈夫?
 今度は大雨らしいわ」
彼女は大の巨人ファンだが、
しらけるほど早々と消化試合になった
中継を観るしかないほどヒマだった。

「そうか、まだ電車は止まってないよな。
 これから山に行くわい」。

気象の胸騒ぎ。

飛び込みが多い中央線。
気圧が変化した夕方、また人身事故があったらしい。

帰宅で混雑する運休の<中央線>。
反対プラットホームから、
<甲斐路>は動いていた。
発車間もなく激しく打ちつける雨で
車窓の闇が歪み滝の裏のようになった。
『停まるかもしれない…』。

すると、ぴたりと止んで乾いた街灯があらわれ、
また滝の裏になり、闇間から慌ただしく
月明かりが零れてくるという不安定な台風接近だ。
山奥のFACTORYあたりは大雨になっていた。

久しぶりに水銀灯を点ける。
ヴェネチアに運んでしまって空っぽになっている
工場の 床の半分ちかくに、
どこから侵入したか雨漏りの水が溜まっていた。



特にコンプレッサーや溶接機の電源部下の浸水が激しい。
コンプレッサーを使ってKUMABLUEを
研こうと思っていたのだが、
電源は乾くまで使えないわい。
エレキが駄目なら、
ビシャン・ハンマーを振るって地道に削ればいいか。
頭蓋にのこっているヒカリやオブジェを
創り続けなきゃな。殺風景になった空間は、
天井から降ってくる天水が叩きつける音で
滝壺に居るような錯覚に陥った。

翌朝、台風の眼は東北に過ぎていて、
台風情報をやっていたNHKでは炎天の甲子園で
高校野球をやっていた。



『蔓草のコクピット』
(つるくさのこくぴっと)
篠原勝之著
文芸春秋刊
定価 本体1619円+税
ISBN4-16-320130-0
クマさんの書き下ろし小説集です。
表題作「蔓草のコクピット」ほか
「セントー的ヨクジョー絵画」
「トタンの又三郎」など8編収録。
カバー絵は、クマさん画の
状況劇場ポスターの原画「唐十郎版・風の又三郎」です。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2003-08-12-TUE

KUMA
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