クマちゃんからの便り

激痛


降り止まない雨と、低気圧の長い停滞のせいか、
アルマジロのような日々だった左足に、
久しぶりの<痛風>が騒ぎだした。
十八日の朝鬱陶しい気分で、
連日猛暑のニュースが伝わるヨーロッパへ、
チカラ技の荒事ゲージツに飛びたった。





飛び立つ二、三日前から予感はあった。

<痛風>はゲリラだ。
最後は二年前だった彼らの激戦地はつま先だったが
今回の予感は、初めて踵にちかいクルブシである。

「大事を前にとうとう来やがったか、
 ちきしょうめ、痛てぇぞ」

と呟いても痛みは激しくなるばかりだった。
贅沢病だとか、帝王の病なぞと言われている
<痛風>が、ゼニ無しのオレを攻めたてるのは
お門違いというものだが、
目に見えないタマシイまで対象なのか<痛風>は。

クルブシという地味で胡桃のように可憐な関節が、
歩行運動には重要なパーツだということを
痛いほど知らされたわい。
胃薬や風邪薬すら口にしないオレも、
あまりの痛さにステッキに掴まった三本脚歩行で、
二年前に医者から貰って放ったままだった痛み止め
<ナイキサン>のカプセルを、
引き出しの奧から探し出して飲んでしまった。
決死の覚悟だった。

ヴェネチアまでの十二時間半の長い滞空を
去年から何度も通ったのだが、
退屈な移動時間と<痛風>の痛みとには
慣れるものではない。
こんな時は眠ってしまい
現地に着く頃、また生きかえるのが特効薬だ。
JALより五センチほど幅が広い
アリタリア航空のビジネスシートは有り難かった。
しかも隣は空席である。

<痛風>箇所に気を降ろし、
頭蓋内で散らす努力をしていると、
眠らない日が続いていたからすぐに死に、
ヨーロッパ上空辺りで生きかえり、
おまけに<痛風>も薄らいでいた。

ミラノ経由のヴェネチア着は夜九時半。
今回は、ヴェネチア本島から水上タクシーで
わずか十五分足らずの、
ヴェネチア映画祭や<OPEN2003>彫刻展が
開催されるリド島にアパートを借りた。
クーラーも扇風機すらない部屋は、
夏を省略したジャパンから来るといっそう暑く感じる。
窓辺にちかくの波音が来ている。

朝六時に<痛風>が去ったか確かめるために、
晴れ渡った長い海岸線を一時間かけて歩いた。
当たり前の真夏の景色だ。

「オブジェのコンテナーの税関審査がまだ終わらなくて、
 リド島に運ばれてくるのが、
 二十五日あたりになるかも知れない」

と知らせだ。すでに十日にジェノバ港に
着いているというのに、なんてこった。
こんなところにも異常気象か。
オープニングに間に合うのか。

オブジェの設置場所を
「ヴェニスに死す」で有名な
DES BAINSホテル前から、
本会場のホテル・エクセルシオール寄りに
変更してもらった。
何処にいても不測の事態の連続である。
<痛風>すら排除したオレは、
なんとかオブジェ制作も
オープニングに間に合わせてみせるわい。



夜、PAORO邸のブドウ棚の下で、
冷たいパスタ、ムール貝のワイン蒸し、
腕ほどあるウナギのグリル、
デザートはブドウ棚に実った葡萄を摘むという
楽しい晩餐に呼ばれた。
着いてしまえばヨーロッパはイイなぁ。
来年はロンドンの大きなギャラリーから
強力なオファーが来ているらしい。
いい事もあるさ。

クマさんへの激励や感想などを、
メールの表題に「クマさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ろう。

2003-08-22-FRI

KUMA
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